― 御霊の現われ― 


               

 

昨日、主日礼拝の合間に一人のひどく酔っ払った人が教会に来ました。一見ホームレス風のこの男性はクリスチャンであると言っていましたが、立川にある場外馬券所のはずれ馬券をたくさん握りしめながら「イエスは死んだ!神はいない!聖霊も働かない!」「俺は今から人を殺しに行くところだ!絶対にあいつは赦せない!」「俺は神に打たれている。競馬もだめだ!」と繰り返し叫びました。アルコール臭が強かったため廊下の窓際で腰掛けながら窓全開で会話しましたが、確かにイエス様は信じており、聖書についても相当の知識があることが分かりました。しかし心の状態は悪く、神様と人への暴言だけは許容できないため言葉を正させて、忍耐の限りを尽くして福音を伝えました。神様を正しく信じて生きること。赦せない人を赦すこと。教会と牧師の悪口を絶対言わないこと…。最後にほぼ落ち着いた頃、背の高い人でしたが頭に按手してお祈りしてあげました。すると次第に彼は小さく解けて崩れるかのように床にしゃがみ込み、頭をたれて謙遜に祈りを受け入れました。しばしの祈りが終わって、彼が顔を上げて立ち上がると輝きながら涙がいっぱいで鼻水もいっぱい長く垂れていました。彼は何度も泣きじゃくりながら素手で鼻水をぬぐい感動のあまり感極まったような赤い顔で言いました。「先生!ありがとう。俺は今からイエス様また信じて頑張るよ!聖霊様がおられた!聖霊様がおられた!俺は人を殺さないですんだよ。」そして喜びながらすっと握手の手を伸べてくださいました。「ショック!」先ほどまで鼻水を直接何度も拭っていたあの光る手が今、私の胸元に伸べられている!もしここで握手を拒んだならこの男性をはずかしめてしまい、せっかくの感動伴う御救いの純粋な心を傷つけてしまう!一人の失われた魂の永遠の命がかかっている。しかし握手すると手が・・・心の迷いは大きかったけれどイエス様ならきっと汚れた罪人をありのまま受け入れるに違いない、いやそれ以上もなさるお方だ。そう思って私も強いてニコニコしながら内心泣きながら両手で軽く握手しました。するとこの男性は強いです。私の手を強く握って何度も何度も上下にゆすって握手しながら手を離しません。私も嬉しくてたまりません。手はすべるし。その後、ようやく自由に開放され、「毎週来させてください」と言って彼が帰ったことを完全確認した後、こっそり急いで台所で手を綺麗に洗浄しました。翌日、早朝礼拝で毎日一章ずつイザヤ書を学んでいますが、今朝は順番通りイザヤ書42章がメッセージ箇所でしたが、その御言葉におののきました。イザヤ42:6 「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。」聖霊様は全知全能で全てのことを知っておられるなあと思いました。あの差し伸べられた神秘的に淡く光る手が主の御手だったのだなあ。感謝。

第一コリント12:1 「さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。」これは控えめな新改訳ですが、言語ではもっと強い表現です。「御霊の賜物について無知であってはならない!」という感じです。このような手紙がコリント教会に送られた事情を説明します。当時、人口50万の大都会コリントにはアクロ・コリントの頂上にすえられた女神アフロディトの偶像神殿があり、そこに仕える千人の神殿売春婦が宗教行為の名の下で姦淫をなし、街を汚していたため、当時「不品行を行うこと」の代名詞が「コリント人のように振舞う」と言われたほどでした。そこに遣わされた(使徒18:1−11)使徒パウロの一年半の開拓伝道で救われた信仰歴わずか一年半のクリスチャンばかりが集う急成長のコリント教会では人数こそ一説では1万から最盛期10万人はいたとされますが、霊性が低くコリント教会員には潜在的な問題が数多くあったようです。コリント第一1〜12章参照。

その後パウロがエペソに移動して3年間留まり、アポロがコリントの後任牧師になったときコリント教会のひずみを直すためパウロがエペソから第一の手紙を書き送りましたが、中でもここ12章では霊的な領域での乱れを正そうと聖霊様の賜物を正しく理解するよう強く勧めています。「御霊の賜物について無知であってはならない!」と。聖霊様の賜物理解は健全な信仰生活上、非常に重要だからです。ここにパウロは御霊の現われを秩序正しく体系化して説明しています。コリント第一12:7-10「 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。」

ここに紹介された御霊の現われは全部で9つありますが、必ず聖徒はこれらのうち一つか二つあるいはそれ以上、複数個すでに与えられています。人は生まれたときから見聞きし考え、発展できる各種の優れた能力を潜在的に持っているようにイエス様を信じた聖徒もすでに新生したときから与えられた優れた聖霊様の能力があります。その賜物を早く悟って引き出し、実際的な信仰生活にうまく適用して歩めば、もっと優れて幸福な働き人となれます。教会内で聖霊様は適材適所に働き人をすでに準備しておられます。あなたがキリストの御体の絶対必要な手であり、足であり重要な各器官です。その賜物をフルに発揮して御教会のために活躍してください。高価なダイヤモンドもごつごつした原石から研磨を繰り返して本当の輝きを引き出すように、聖霊様の賜物も信じて用いるうちにいよいよ輝いて鋭い洞察力のもと有益なものとなります。賜物は天よりいただく贈り物ゆえ決して人の努力や訓練によって生み出されるものではありませんが、すでに受けている賜物を用いる上で霊的な感覚だけは訓練する必要があります。訓練とは聖霊様の賜物の使い方と性質を学び、実践的に使い慣れるということです。これは卓上知識や神学的な研究だけでは体得できず、実践的な生きた信仰生活の延長上で試行錯誤を繰り返す中、霊的感覚が養われ聖霊様に従うことを第一とする実践神学の体験です。私自身、救われた直後、いくつかの聖霊様の賜物を同時に頂きましたが、それをうまく用いる方法が分からなかったため、ただ不思議だけが目の前を通り過ぎて行ったという体験が多くありました。一例を挙げると過去に教会の関係で、ある不信者の男性に二度目に出会ったとき、食事の席で彼は誇らしげに私にこう言いました。「私はバブル期に不動産業で成功して私の会社には150人もの従業員がいて、十人以上の愛人もいた。毎日、女性たちから電話が鳴り止まなかった。…」現状彼は数十億円の負債を抱えており、横には気の毒な現在の奥さんが座っていたため雰囲気を察しながら私は沈黙しましたが、確かに彼が話した「過去に十人以上の愛人…」という話だけは私自身、彼に聞く前から聖霊様の賜物の1つである知識の言葉により、直接夢でそれを見て知っていたのでそれは本当のことだとすぐ分かりました。しかし当初、夢で見たあの男性取り巻く銀座風に着飾った厚化粧の多くの遊女たちは、この男性が悪霊取り巻く危険人物ゆえ要注意の意味くらいにしか思えず、まさかそれが文字通りの彼の過去であり、伝道の切り口であったとは悟れずに、当時はただ不思議だけが目の前を通り過ぎたという感じでした。今なら「あなたの過去は聖書のサマリヤの女以上ですね。」等、先に聞く前から大胆にこちらからお話して生ける神様を証しする大きな武器にしますが、当時はどう対応していいのか分からない状態でした。読者の皆様にも聖霊様の賜物がしばし現われているのに、その目的を十分把握できず、うまく適用できずに主の栄光が現われるチャンスを逃している人はいないでしょうか。絶対、聖霊様の賜物について教会は無知や無関心であってはいけません。聖霊様が臨まれたら大胆に従い、自由に語らなければなりません。あなたが勇気を持って大胆に行動しなければ現せない奇蹟の領域が必ずあります。恐れは禁物です。信仰はある程度、冒険です。勇気ある決断と生きた行動によって主の御心だけが成就します。御言葉に伴った御言葉を確かなものとする現代のしるしと不思議である御霊の現われを文字通りこの世に向かって勇敢に現わして行きましょう。

コリント第一12:11「しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。」

ハレルヤ。あなたはすでに優れた聖霊様の能力をいただいています。偉大な神様の賜物の所有意識を抱いて勇敢に御力を解き放ってください。あなたはそれができる人です!イエス・キリストはあなたを通じて希望の天国の福音を伝え、あなたを通じて悪霊を追い出し、あなたを通じて病をいやし、あなたを通じて聖霊様のしるしと不思議をこの世に示します!