「スプランクノン」


               

 

「イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。」(マタイ14:14)

イエス様が抱かれた感情、あわれみは非常に重要です。滅び行くたましいに対する主の哀れみゆえに宣教師は犠牲を払ってでも外国に出向きます。イエス様が多くの群集を見られた際、「深くあわれんで」、その結果病気が癒される奇跡がともなっています。ギリシャ語でここに使われた「あわれみ」「スプランクノン」で、身を引き裂くような断腸の思いです。本来は肝臓、腎臓、心臓のニュアンスを含んだ、張り裂けるような痛みの気持ちです。イエス様は病める人々を心底、痛み伴う感情のレベルまで激しく愛して癒しをなされたのです。以前、私は癒しに関するある夢を見ました。群集と共に歩まれる白くて長い衣をまとわれた美しい目のイエス様の夢でしたが、多くの病人の病める箇所に触れながら瞬時にすべての病を癒しておられました。そこで私が驚いたことは、ある場所で立ち止まり説教を始められたイエス様が今まで多くの病人を奇跡的に癒されたことを何も話さず、それが当たり前の日常茶飯事の出来事のように驚きも興奮もせずに、そのままさりげなく福音を伝えられたことでした。そして御言葉の時を一番大事にしておられました。普通のリバイバル講師なら、目の開かれた人や足のなえていた人を証し人としてステージ上に上げて大騒ぎするような偉大な奇跡の連続だったのに、私の見たイエス様は驚きもせず、誇りもせず冷静に福音を語られていました。本当の癒しの奇跡は見世物でも広告塔でもなく、真実なイエス様の愛とあわれみの御心の結晶です。私たちは父なる神様の人へのあわれみをもっと理解する必要があります。「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」(ルカ1520神様は放蕩するこの時代の人々をあわれみ一杯で抱きしめたいです。抱擁は人を癒します。
そこには、イエスの真正面に、水腫をわずらっている人がいた。イエスは、律法の専門家、パリサイ人たちに、「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか。」と言われた。しかし、彼らは黙っていた。それで、イエスはその人を抱いて直してやり、そしてお帰しになった。」(ルカ14:2−4)以下はある先生の心の癒し体験記です。

「私は10歳の時に父を亡くした。昨年、あるインドネシア人牧師の集会に参加して、メッセージの終わりに、この中で子供時代に父を亡くした方は前に出てきてください。お祈りしますと招かれたので即座に前に出た。すると、その牧師とチームのリーダーの方々が私を抱擁し、祈りを始めた。すぐに聖霊様が働かれ彼らは涙をもって真剣に祈ってくださった。私は父親を亡くしたことによる傷は自分で祈ってすでに、いやさていると思い込んでいたので、もうこれ以上、長く祈ってもらう必要はないと考えていた。しかし最初、何も感じなかった私が5分間位、抱擁されて祈りを受けていると、石のような固かった私の心は溶かされ、父の愛を感じ、大声で泣き出してしまった。暖かい父なる神の臨在により、私の子供時代の父親との死別の傷がいやされていくのを感じた。涙と共に聖霊様が力強く働かれ、私の心は父の愛に触れた喜びで満たされた。」 ハレルヤ!

「イエスはその子の父親に尋ねられた。「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言った。「幼い時からです。」(マルコ9:21)

傷を受けた時があり、傷が癒される時があります。過去に傷を受けたその現場に昨日も今日もとこしえに変わらないイエス様が入って来られ、傷ついた内なる私を抱きしめて癒してくださいと祈りましょう。