― 信仰の賜物 ― 


               

 

コリント第一2:7「 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。…またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、」

クリスチャンは誰でも信仰を持っていますが、この信仰がある時、賜物となって強く働く時、奇蹟を起こす「信仰の賜物」となります。通常一般の人には到底信じられない事柄を信仰で固く信じられる時があります。実に山が動くことさえ信じられる信仰です。マタイ17:20、21「イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。」

私は今、教会の三日間断食聖会終了直後で体力は衰えていますが、霊的には反比例に心が熱く燃えています!祈りと断食は確実に信仰を大きくする秘訣です。からし種は小さいけれど内に命があります。小さな信仰でも祈れば内なる命は必ず成長して大きくなります。自然界で命あるものは命なきものを動かし支配し管理できます。命あればからし種の信仰でも、命なき山のような大問題さえ動かし支配し解決できます。大問題を前に命じる時、信仰で発せられた言葉は強いです。山を動かすレベルの「信仰の賜物」が生きて働けば大きな仕事も出来ます。聖霊を受けたクリスチャンはすでに唇に霊的な力が与えられています。強く祈りこんだ後、イエスの御名で環境に命じてください。奇蹟は言葉から始まります。「主よ…してください。」と嘆願する祈りも重要ですが、これは信仰で命じる祈りのおすすめです。イエス様のミニストリーの多くも命じる祈りです。12歳で死んだ少女に対して「タリタクミ!少女よ、起きなさい!」死後4日目のラザロの墓前でも「ラザロよ。出てきなさい!」死者たちは皆よみがえりました。暴風を前に「黙れ!静まれ!」即座に大なぎです。6000匹の悪霊どもに対しても「行け!」力あるイエス様の御名の権威の下では悪霊どもでさえ服従して追放されました。私たちも信仰で実践しましょう!私は先月、教会の宣教の働きの為に一般会計とは別に100万円の必要が生じました。そこで捧げた祈りはズバリこれです。長時間の異言の祈りの後、「イエスの御名で命じる!100万円よ、来い!奇蹟よ、起きよ!」極めて単純で飾り気のない格好もよくない祈りです。しかし信仰の言葉は奇蹟を起こします。創世記で初めに神様が天地を創造されたときに、地は茫漠として何もなく、やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた、その時に神様が「光があれ。」と命じられるとビックバーン現象の光の粒子の大爆発の実態があったように、まず茫漠として何もないやみの環境に(礼拝堂で電気を消して皆で祈るとよく祈れます。)聖霊様が働く異言の長時間祈りで臨在を満たし成就の夢を抱くことです。そして聖霊に満たされて聖霊の力をおびたその時に「光があれ。」(100万円があれ!)と信仰宣言です。教会では先ほどの祈りに続き一通の手紙が届きました。開封すると寄付という文面のもと100万円の小切手が入っていました。しかも送り主は手紙によると私の記憶に薄い数年前に私が教会でカウンセリングをした不信者の男性からでした。神様のなさることは時にユニークです。まさか教会外から宣教費が満たされるとは!日常茶飯事に語る言葉を肯定的、建設的、創造的に変えることさえできれば、あなたの運命全体が変わります。エペソ4:29「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」ヤコブ3:4「また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。」あなたの口の告白が望みの港へ導きます。神様はアブラハムを信仰の父として高めるために本名アブラム「高貴な父」からアブラハム「多くの国々の父」と改名されました。妻サライ「高貴な母」においても同様にサラ「多くの国々の母」と改名!これは日々の告白を変化させ100歳と90歳の老夫婦が奇蹟的高齢者出産を可能にさせる為です。互いに名前を呼び交わすことにより告白された言葉の通りの力がやがて生きて働き、彼らはイサク出産を現実のものとしました。名前通りの性格の人ヤコブ「押し退ける者」においては、イスラエル「神の王子」と改名するや否やその場で祝福を受けることができました。イエス様はシモン「葦」に対してペテロ「岩」と名づけられました。川辺の葦のように微風で左右に揺らぐ優柔不断な者ではなく、岩のように確固とした信仰で教会の柱になってほしかったからです。イエス様の願いはペンテコステ以降現実に成就しました。ここで誰でも単純に創氏改名さえすれば祝福されるのではなく肝心なのは日々語る言葉の内容です。ヨハネは雷のように怒りやすい性格を直そうと告白の言葉を変えました。ヨハネ19:26「イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、」ヨハネ20:2「イエスが愛された、もうひとりの弟子」ヨハネ21:7「イエスの愛されたあの弟子」ヨハネ21:20「イエスが愛された弟子」ヨハネ福音書の著者ヨハネ自身が「イエスに愛されている」ことを自覚して福音書記録時にも告白し続け、やがてヨハネ第一、第二、第三の手紙という愛の書まで書く程の「愛の使徒」に変えられたのです。言葉の力は強いです。あなたも!「私はイエスに愛された弟子です!」生きた信仰告白を毎日繰り返しましょう。信仰はあえて方程式にするならば、分母は「レイマの御言葉の土台」分の分子は「大胆な信仰の行動」イコール「奇蹟」です。直接語られた主の御言葉の土台なく突発的に行動することは危険です。聖書をよく読んで御言葉を受けた上での行動が安全です。ある聖徒ですが、彼は信仰を持った当初、今知った信仰の世界の素晴らしさにあまりに興奮してさっそく教会で聖餐式に飲まれていたぶどう酒を本人の判断で飲酒良しとして購入して飲み、ひどく酔っ払いました。酔った兄弟は外に出て散歩しているといつの間にか偶像の宮に到着しました。よせばいいのに彼は何かの力に引かれるように鳥居をくぐり神殿内に入ると誰もいませんでした。そこで彼は木魚という丸い木製の打楽器を発見したので、なぜかこれを棒で強くたたきながら賛美を歌い始めました。酔っ払いに理屈はありません。「ボン、ボン、ボン、ボン、イエ〜ス!」あまり恵まれない異様で異質な賛美の後に周囲を見渡すと偶像がいっぱいであることに気づきました。聖書で禁じられた偶像!彼は酔った勢いでそれらを破壊し、最後に賽銭箱が置いてある大庭のようなところで吊るされた太い紐を見つけました。そこでこれを力任せに振り回して引っ張ると「ガラン、ガラン、ゴンゴロゴン。」と鈍い音を立てながら上から大きな鈴が頭上に落ちてきました。彼はすっかりやりたいことすべてをやり尽くした後、酔ったまま帰宅しましたが、やがて酔いが醒めた頃、我に返り「今日の行動はまずかった!」と反省しもう一度、偶像の宮に戻りました。すると神主のような人がそこにいて悩める顔で困惑して立っていたので彼は罪を自白してただひたすら謝罪しました。神主は「もう少しで警察を呼ぶところだった。どうしてこんなことをしたのかね。」彼は答えました。「本当に申し訳ありませんでした。実は祈りが答えられなかったので、怒ってこうしたのです。」クリスチャンの彼は寛大な神主に赦されて事無く帰宅しましたが、私に「本当に当時ぶどう酒だけは飲んでもいいと思っていた。聖書も何も知らなかった。」と言って後悔していました。信仰は御言葉をよく読んで管理しないと人により暴走します。特にもともと「信仰の賜物」を戴いているクリスチャンはイエス様の中で神様の御心を受けた信仰上の行動をとれば山を動かす程の大きな御技に用いられますが、御言葉なく感情的な興奮と勢いだけで走ると通常の人が信じられないようなことを大胆平気に信じて「できる。できる。」だけを盲目的に繰り返して大きな失敗をすることがあります。大きな神様のビジョンが来た時はまずそれが本当に御心なのか時をかけて祈りこみ、教会の牧師にも相談して冷静な判断が必要です。

信仰はいつもビジョンと共に働き、正しい主からの夢と幻は未来を開きます。箴言29:18「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。」もしこの御言葉を逆に言えば「幻があれば、民は立派にふるまう!」ヨセフは「あの夢見る者」と悪口雑言されましたが、17歳の時に啓示された神様からの夢を信じ続けて、その「幻」の力でエジプトにおける13年間の過酷な奴隷生活や獄中生活にも「立派にふるまって」耐え抜き、後に神様に認められた逆転勝利の栄華を極めました。聖霊様の原語は夢と幻です。聖霊様からのビジョンは必ず救いをもたらし、災いを祝福に変え、苦難を乗り越える力を与えます。1999年10月、アメリカで主任牧師に召されて就任以降、教会員数を信仰で4倍の47000名にまでリバイバルさせたレークウッド教会のジョエル・オースティン牧師は最高の人生には七つの段階があると言います。1、私はいつもビジョンを育てる。いつも夢を持って暮らす。2、健康的な自画像を持つ。3、私は考えと言葉の力を重視する。自分の考え、言葉が驚く力があるということを認める。4、私は過去のものから解放されている。失敗、苦しみを考えずに赦し、捨ててしまう。5、私は逆境を通して長所を強めてくださる神様に感謝する。6、私は施す人生を生きる。7、いつも幸福を選択する。どのようなことがあっても悲しみを選ばないで幸福を選択する!やはりここでも夢と幻の力が強調されています。では聖書中、「信仰の賜物」を持っていたのでは!と思われる人物を幾人か挙げてみます。ノア!彼はまだ見たことのない雨という自然現象を信仰で見つめて、大雨の大洪水に備えたあのように巨大な救いの箱舟を120年もかけて建築しました。発掘によれば全長150m、幅25m、高さ15m。この30:5:3の比率は今日でも造船技術の黄金率と言われ、タンカーがこれを模範に造られています。ノアに必要だったのは多くの木材、献身的な家族の労力、時間、その他多くの目くら経費でしたが、何より神様の御言葉に対する信仰こそ一番必要なものでした。家族意外誰も神様を信じない背信の時代に義なる裁きをなさり、救いをも与える善き神を信じたことは偉大です。今日の日本のクリスチャンのように。バイバルしている国家環境で信じるのは容易いけれどクリスチャン人口の少ない環境で信じることは困難を極め、信仰の賞が天国で待っています。ノアは水の引いたアララテ山上で再び洪水を起こさないという神様の約束と現れた契約の虹を信じて、あえて洪水に弱いぶどう作りの農夫になり、農業の仕事自体が彼の献身の信仰告白です。新約では十字架上、イエス様のかたわらで悔い改めてパラダイスに入った強盗人!誰も伝道しないどころか民衆全体が十字架の死を叫ぶ只中で、イエス様も一つも奇跡を起こされないのに彼は信じました。栄光輝く再臨のイエス様なら誰でも彼を神様と信じられます。しかし十字架の血潮にまみれた悲惨に砕かれたその御姿を見てたった一度の十字架上の御言葉を聞いた直後に信じたのです!ルカ23:34「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

そしてイエス様聖誕時に幼子を抱いたシメオンとアンナ!彼らはこの救われた強盗人以上にイエス様の語られた御教えや成された奇蹟をうわさにも聞いたことのない人たちです。なぜなら今、生まれたからです。無力な幼子を見て神様だと信じたのです。永遠の命に通じる「信仰の賜物」は大切です。私たちはただ信仰によって神様は罪なきイエス様を十字架の死から三日目に復活されたと信じています。ヨハネ20:29「イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」アーメン