青銅の蛇


               

 

「十字架のことば(聖書)は、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」

(コリント第一1:18)

 

先日、私たちの教会の牧師3人が中国へ聖書を運び込むことに成功しました。荷物に混ぜた60キロの聖書は意外と重く、空港レーンを歩く時に私のショルダーバックの肩ひもが根元の接続部から2回も切れ、あの瞬間が税関通過時でなくて本当によかったと安堵の胸をなでました。中国ではご存知、毛沢東による文化大革命以降、聖書の輸入や製造も一切禁じられており、急増するクリスチャン人口の需要に応えてこのような個人レベルの運搬人が大勢必要とされています。北京空港で税関通過時、内心緊張の連続でしたが「思ったより簡単に通過できた!」と思いました。その瞬間、不意に隠れた場所から監視していた検査官の一人が現れて、私の少し後ろにいた日本人観光客らしき青年を厳しく呼び止め、抜き打ち的にカバンの中身すべてを徹底検査し始めました。本当に心臓が止まるような瞬間でした。この大切な働きも神様の守りと祈りが無ければ不可能な宣教です。読者の皆様にも中国聖書配布に関心ある方、旅行ついでに実践したい方、声をかけてください。仮に見つかって没収されても最近では中国内には持ち込めない物品というだけで帰国時に返還してもらえるそうです。十字架のことばのためにあなたも使命感に動かされてチャレンジしませんか!

 

「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 (ヨハネ3:13-16)

 

イエス・キリストは御自身の十字架の殉教を指して、かつてのイスラエル史(民数記21:4-9)を例えに「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」と預言されました。かつてイスラエルの民は荒野で我慢できなくなって神とモーセに逆らい「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」とかなりの勢いでブーイングしました。荒野には元来、毒蛇が多くいます。特にこのホル山から、エドムの地を迂回した、葦の海の道の途中は蛇塚のように毒蛇大繁殖地帯だったようです。しかし神様がこれらの害を受けないよう日々、会衆を守っておられたのに、彼らが神とモーセを非難して罪を犯したため、その見えざる神様の保護の御手はいったん取り去られました。すると、当然にしてかまれるとやけどのような痛みを持つ燃える毒蛇がいっせいに現れてはかみつき、多くの人々が死んでいきました。

大切な教訓です。イスラエルの民が神とリーダーのモーセに逆らったように、私たちは神と牧師に逆らってはいけません。最も教会を愛し、陰で聖徒のことを日々心配して祈っているのはあなたの教会の牧師です。日本のような宣教困難な地域で耐えて教会と聖徒を守り続けている牧師たちは本当に使命と信仰がある本物の神様のしもべたちです。あなたの教会の牧師を愛して敬意を十分払い、熱心にとりなし祈ってください。牧師を悩ます者ではなく、協力する同労者となって天国の豊かな報いを受けてください。

イスラエルにはいつも環境に不満をいだいてつぶやく者とモーセのように信仰でとりなし祈る勇士がいました。今も同じです。同じ環境にいながら習慣的につぶやく者は蛇のような悪魔にかまれて霊的に死んでしまいます。破れを取り繕って祈る平和の子には神が共におられます。あなたの教会と牧師を悪くいいふらす反抗的働き人に注意して下さい。そのかたわらには牙をむいた毒蛇が口を大きく開いて飛びつこうと待機しているからです。悪霊どもは批判やつぶやきのにおいを好んで嗅ぎつけニョロニョロ集まります。離れてください。

 

逆らうイスラエルの民が毒蛇にかまれた痛みと逆境の中で耳が開かれ、自らの過ちを悔い改めた時、とりなし祈るモーセに答えて主は仰せられました。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」

ここでなぜ病める民を癒す力の象徴が「燃える蛇」なのでしょうか?聖書では蛇はもともとエデンの園でアダムとエバを惑わした憎い悪魔の代名詞のはずです!?

従順なモーセは「なぜ燃える蛇が?」なんて、私のような疑問をいだかず、すぐに主の御言葉を純粋に信じて一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけました。すると奇跡が起こりました。「もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。」 のです。ハレルヤ。

後の時代、聖書はこの出来事を教訓にこう述べます。「私たちは、さらに、彼らの中のある人たちが主を試みたのにならって、主を試みることはないようにしましょう。彼らは蛇に滅ぼされました。」(ローマ10:9)

先日の中国訪問ですが、聖書を受け取り喜ぶ中国人クリスチャンたちをあとに、お決まりの観光ルートである万里の長城や天安門それに旧市街や一般民家などにも訪問しました。圧倒されたのは中国の歴代の皇帝たちの巨大な権力を誇示する荘厳な墓や王宮です。日本人は物づくりの国として世界的強豪メーカーが乱立する国として知られ、手先が大変器用で小さいものを精巧で丹念に研究して高度に製作できる賜物がありますが、その原点のようなものを中国の深い文化的建造物に見ます。特に巨大で長く続く王宮施設の数々に巧みに彫刻され装飾された飾り物や絵画。安置されたむなしい偶像の竜さえもとても細かく彫刻されており、うろこの一つ一つまで繊細に大変な忍耐力で長い歴史と時間をかけて制作されていたことが分かります。

 

しかしモーセの時代、その日、イスラエルの群衆が次々と荒野で毒蛇にかまれて猛毒が血液循環とともに体内に流れ込んで死人が急増する中、モーセには長い歴史も時間もありません。一刻も早く青銅の蛇を製作して啓示されたとおり、それを旗ざおの上にくくりつけて病める会衆が仰ぎ見て癒されるようにしなければ、イスラエルは毒が満ちて全滅です。これはのんびり丁寧に彫刻できない時間との戦いです。人の命が懸かっています。そこで、これは想像ですが、モーセはきっと最も早く製作出来る簡単な青銅の蛇を作ったはずです・・・。その簡単な蛇とは棒です。主は「燃える蛇」を作るよう指示されたので、その製造法は火花を散らして青銅を打ちたたいたか、仮設の溶鉱炉で溶かした青銅を地面にまっすぐこぼして、急ぎのため水をかけて強制冷却で完成させたかでしょう。完成品は少々出来が悪くても詳細なうろこもありませんが、誰がなんと言ってもこれは指定どおり立派に燃える毒蛇です。一般的な青銅の蛇のイメージは体をぐるぐる円状に巻いてうろこが沢山ある蛇が頭をむっくり上げて舌をビロンと出している、のはずですが、モーセの場合、そうはいきません。そんなに立派な工芸品の蛇を製作していたら、日が暮れてしまいモーセが「ようやく完成だ!」と言って光り輝く顔を上げるとイスラエルは「毒が充満して既に全滅であった。」となります。ですからこの蛇は絶対棒状のまっすぐな形であり、詳細なうろこも舌も目もきっとありません。聖書にはそう書いていませんが。

 

ここでくくりつけ方も重要です。もし旗ざおと平行して棒蛇をピッタリ重ねてつけると蛇はさおに隠れて遠くの信者は旗ざおしか見えません。斜めに結んでも場所によっては見えにくく不安定です。一番効果的にすべてのモーセを中心に取り巻く全会衆が公平に見やすいくくりつけ方とは、会衆の中央に高く立てられた旗ざおに対して遠くからも見えるよう上部中央に垂直に結べばいいのです。すると!!美しい十字架になります。ハレルヤ。イエス・キリストが御自身の十字架を「モーセが荒野で蛇を上げたようにと引用されたとおり荒野の旗ざおも、似た形の十字架だったのです。イエス・キリストはそれを知られていたのです。

「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」(イザヤ45:22)

私たちの身代わりに十字架で死んで三日目によみがえられた偉大なる救い主・癒し主・罪なき神のひとり子イエス・キリストをほめたたえます。イスラエルの会衆は総数で数百万人、モーセを中心に端にいた会衆はほとんど中心の旗ざおまで数キロも離れていて肉眼で直視は出来なかったと思います、しかし人づてに癒しと救いのことばを聞いて信仰が生じ、悔い改める心で十字架の旗ざおを仰いだ者は誰でも解毒されて癒されました。私の罪のために身代わりとなって十字架で死なれ、よみがえられたイエス・キストを「2000年も前の遠い過去の出来事で到底見えない!」とは言わずに、「見よう!」と信仰の目を開いて信じてあおぐ人は今でも罪と病と呪いの猛毒から解毒されて救われます!信じない者にならないで、信じる者になりましょう!

 

昨日、知り合いの先生からある地方都市についての祈りの課題を詳細にレポートいただき、今朝、その地域についての鮮明な啓示が夢で示されました。夢の中で私がその地域の郊外を観光バスに乗って移動していると、道路沿いの低くなった自然がまだ残る沼や湿地の池すべてに全長50−100メートルはあろう胴回りもかなり太い大蛇が大繁殖して悠々と泳いでいました。非常に恐ろしくもおぞましい光景です。とにかくでかくて怖い!しかし地元の人々にはそれがごく当たり前の見慣れた風景の一つで違和感もないようでした。大蛇の巨大さに驚く私はバスに同乗した隣席の仲間に繰り返しこう語っていました。「あれだけ、でかくなれるからには、それを養うに見合うだけの非常に多くの魚や地のちりのような汚い生物たちが餌としてあそこには豊富にあるのですね。」そう言いながら、注視していると確かに餌は多く、大蛇は濁った水中の腐敗した藻や汚れた浮草のようなものまで手当たり次第、餌となるものに喰らいついていました。今朝、早朝礼拝の祈りの時間に心に響く悟りは、悪魔の餌である罪が多くあるから、大繁殖するのだ。クリスチャンの繁栄と祝福も大蛇の餌をなくすこと。徹底した悔い改めしかない。という啓示です。罪から清まることが、そのままダイレクトに悪魔を弱らせ、退治することにつながります。

 

「今はキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」(ローマ8:1,2)

 

ジフテリア菌に感染した患者に対する特殊な治療法があります。まず、癒しに必要な血清を造るため、専門家がジフテリア菌をあえて健康な馬に注射します。程なく馬は毒にまん延されて倒れ、のたうち回り生死をさ迷い始めます。しかし馬の免疫力は大変強くジフテリア菌に対抗してこれを克服し、後には健康を回復して立ち上がります。そのとき、この馬の血液を採取して不純物を削除した血清を造り、これを病める患者に注射します。それはジフテリア菌に対する免疫力がすでに備わった勝利した血清です。このような勝利の免疫力は病める患者を完全に癒すことになります。

私たちの救いを例えれば、この馬のように十字架の上で人間の代わりに苦しんで死なれたイエス・キリストとその三日目のよみがえりを信じるとき、あらゆる種類の敵の否定的な黄泉の勢力に対して免疫力ある復活のイエス・キリストの勝利の力が聖霊によって注がれ、霊・魂・体も癒された同じ勝利の人となり、罪と死に打ち勝った者として天国が与えられます!ハレルヤ

 

「神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」 

(ヨハネの手紙第一5:4、5)