「霊の戦い」 


 純福音立川教会   

 

わたしは、もう、あなたがたに多くは話すまい。この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることはできません。ヨハネ14:30)この御言葉はNIV訳聖書でHE HAS NO HOLD ON MEとなっており、直訳でイエス様には悪魔の入る穴がないという勝利宣言です。私たちも霊の戦いで勝利する秘訣は悪魔の働く機会を全く与えない完全に整えられた隙なき心を持つことが大切です。また、使徒パウロは「悪魔に機会を与えないようにしなさい。」(エペソ4:27)とも言いましたが、ここで使われた「機会」はギリシャ語で「トポス」で、「場所、チャンス」とも訳せ、ヘブル語では「トーパン」です。語源は元々ローマ軍隊の強力な陣をさしており、前面は向かうところ敵なしでしたが、背後にはしばし奇襲攻撃されたような隙間があったことによります。悪魔の付けこむ機会は罪、悪い言葉や考え、不信仰、未処理の呪いのきずなや恐れなど油断した行動にありますが、マルチン・ルターはこの聖句をこう訳しました。「あなたの生活の中で中傷する者に席を与えてはならない。」悪魔は確かにギリシャ語でデアボロス「中傷するもの」で、私たちの心に罪や傷を与えて隙を作り、そこを突破口に進入しようとします。私たちの霊的戦場は心です。力の限り見張って清い心を死守しましょう。日夜、心の王座を敵の世俗に奪われまいと祈りで激戦している信者こそ本物のキリストの勇士です。

私が小学生だった頃、遊び場のひとつに近所の神社がありました。森の中を入っていくと小さな池があり、その横には狐を祭る偶像の祭壇と火の神と呼ばれる岩場をくり抜いた小さな洞窟のような祭壇がありました。そこから当時、私は遊ぶ金欲しさにさい銭泥棒していました。誰もいない環境に加え子供の手でも柵の下におもいっきり伸ばせば楽に小銭が盗れました。しかしひとつの摩訶不思議がありました。火の神という偶像からさい銭を盗むと、いつも何処からともなく火の気もないのに焦げ臭いにおいがしてきました。何回実験してもそうです。そこである日、なぜか私が代表になって友人5人くらいを連れて現場に行き、その旨を説明した上で、下から手を伸ばしてさい銭を実際に実験の為に盗って見せました。すると確かにその瞬間何処からともなくあの焦げ臭いにおいが火の気もないのに、すっとしてきました。半信半疑だった友人たちもびっくりしながら「本当だ!焦げ臭い!泉の言った通りだ!」と叫びつつ恐ろしくなってその場からいっせいに逃げ去りました。私は内心、私の言った通りになった満足感から誇らしげな思いで恐れつつも喜んで逃げ去りました。今考えても確かにあそこは悪魔が強く働く場所でした。しばらくした後、私は新たな思いで別の5人くらいのお友達を連れて現場に帰って来ました。今回の目的は実験ではなく、ゲームセンターに行く資金調達のためでした。なぜかここでも私がリーダーになって盗み方を説明して実践していましたが、狐の偶像を祭る祭壇の前では簡単な火の神とは構造が違い、上からさい銭を入れて中に落ち込んでいく構造の為、どんなに手を入れても下まで届かず、うまくお金が盗れません。そこで悩みぬいた末に私は発見しました。「あっ!左下にお金がたまる鉄の扉がある!これをこじ開ければ、ぜんぶ回収できるぞ!」そこで鉄製の扉を開けようと爆竹花火を数本取り出し扉の隙間にはさんで点火しました。「バン!バン!バン!」わずかな火薬同様やはり小学生のわずかな英知では、こじ開けるには及びません。そこで今度は数本ではなく一束全部をはさんで再度、点火しました。「ババババ!!!…」しかし爆音とけむりが消え去ったとき目にしたものは、依然閉ざされたままの白く焦げた鉄の扉でした。「はたしてどうしたらよいものか」その時、小さな石を発見しました!「これだ!」今度は石をもってガンガンたたきました。しかし鉄は石よりもっと硬いものです。するとお友達の一人でお父さんがヤクザをやっているK君が「これならいけるぞ!」とか言いながら大きな石を拾ってきました。そして力の限り数回打つとなんと!「ドカン!ボロボロボロ・・・」少しのけむりの後、鉄の扉は依然鍵がついたまま閉じていましたが、その場に鉄の枠ごと倒れていました。それはそのさらに周りの加工されたコンクリートの壁の全体部分が大きく崩壊して大きな穴が開いたからです。「やったあ!」熱心にさい銭すべてをかき集め一目散に逃げ去りましたが、その後、数えてみると小銭ばかりで千数百円でした。これなら破壊された偶像の祭壇の修理費のほうがずっと高くつくなあと思いました。

それから後のことです。なんと、この事件はそこで終わらない悪魔からの緻密に計算された復讐劇が始まりました!私がある日、公園で遊んでいるとその近くに変なバスを発見しました。「おいみんな!変なバスがあるぞ!行って見よう。」それは真っ黒塗りの前面も側面も金網が張りめぐらされ、白い漢字で何か大きく書いている本当に変な一番大きなサイズのバスでした。それは少し怖いおじさんたちが使う大音響でスピーカーを鳴らしながら動くあの右翼の宣伝カーでした!しかし、当時私は小学生。常識も良識も怖いものもなしです。「よし!のぼってみようぜ!」6人いたと思いますが、みんなでバスの屋根の上によじ登りました。登頂すると清々しくたいした見晴らしがよかったのを憶えています。そして屋根の上をまじめに散歩していると足元に変なものを見つけました。「おい!変だぞ!このバス、煙突がついている。」それはおそらく脱税目的で8ナンバーのキャンピングカー使用で登録されたバスの為、大きなバスの室内に事務所があり、そこにストーブが設置されていた、その煙突が屋根の後方、中央付近に天上を通過して突き出ていたのです。煙突と言ったら、けむり、けむりと言ったら火、火と言ったら花火です。なぜかリンクするそんな幼稚な発想のなか、私たちは爆竹花火をカバンから取り出してさっそくその煙突に一束火をつけて入れてみました。「ババババ!!!…」しばしのけむりの後です。死んでいた煙突に息を吹き込んだかのような不思議なしんきろうのようなものを私が見つけました。「今、煙突から湯気が出ている・・・」「本当だ・・・」実は季節は夏、そのバスの車内に使われていたストーブは外されており、よくあることですが、代わりに煙突の車内最先端部には古新聞が詰め込まれていたのです。その乾燥しきった古新聞が先ほどの「ババババ・・・」の飛び火を受けて燃え出してしまったのです。「しまった!大変だ!消防士を呼べ!」笑い合いながら数本の細いホースで自然の消火活動をしましたが、小学生数本のホースと水量ではこれが足りず消えません!「大変だぞ!もっと出ないか!まじめにやれ!」「だめだ!俺も空だ!」「俺も・・・」急いでバスを飛び降り、外から眺めていると、あの燃え始めた尿のついた汚い古新聞が目の前でストンと真下に落ちるのが見えました。「あっ、火事だ。」そのバスの車内は事務室兼倉庫にも使っていたようですが、じゅうたんが床一面に引きつめていました。「なんで!こうなるの」瞬く間にじゅうたんに引火し、バスは車内から赤々と燃え始めました。さすがにまいった私たちは近所のマンションに飛び込んで言いました。「火事です!消防車を呼んでください!私たちでは消せません!」「分かりました。救急車も呼びますか?」思わず私は「はい!そうしてください。」それからしばしの後、けたたましい消防車のサイレンと不要だった救急車のサイレンのミックスする中、群集が現場に集まり始め騒々しくなりました。ところが駆けつけた消防署員が本物のホース片手に消火活動をしようとしても、これが出来ません!なぜなら右翼のバスは戦闘用に?か防御用に、か?しりませんが、悲しいことに窓枠全体に金網が前にも後ろにも横にも張り巡らされているではありませんか!これには通常、窓を突き破って勇敢に突入する消防署員もお手上げです。加えて相手は右翼団体の大型装甲バスです。勝手に破壊突破したら後の責任が怖いです。一方、車内は真夏に床一面のじゅうたんという格好の燃焼物を捕えた為、火の気は治まりません。「もうだめだ!」誰もがそう思ったその時に、サイレンの音で駆けつけた野次馬になった右翼のおじさんが自分のバス炎上を目の当たりにしてびっくりしながら急いで何処からか鍵を持ってきて鉄の扉入り口を開けました。その後は太い本物のホースを持った消防署員の勇敢な突入!難なく火は消されました。その後、私たちは消防署員から始まり関係ない救急車、小学校の先生や親たち・・・とにかく怒られました。しかし誰もが口にしない、口に出来ない共通の認識が内心ありました。「あれは、火の神のたたりだな。・・・」右翼は金持ちでした。主犯格が小学生ということもあって一切燃えた数々の賠償請求もなく、右翼のおじさんに許されて釈放され、一件落着以降はしばらくは火を見るだけでも怖いという状態が続きましたが、周囲からは右翼のバスを放火した小学生ということで少し有名人でした。アン・ハレルヤ!

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)

私たちは悪魔と戦うべきであって偶像自体や怖い圧力団体や世の中の政治的・社会的矛盾と真っ向から戦ってはなりません。泥棒になってもいけません。戦うべき相手は悪魔であって戦場は私たちの心です。悪魔に機会を決して与えないよう心を引き締めてイエス様の愛で武装しましょう!ハレルヤ!