日本part2


なんとなく似ていますが、古事記ではかなり誤解を招く表現で書かれ、ここだけで3人の神々になってしまいます。

                 

特に<系図1A>と書いた部分の系図は古事記では省略されているため、少し後の720年に書かれた日本書紀から補足して挿入することによってここに完全な系図が完成しますが、その登場人物の名前に本来、「エ」もしくは「エル」という文字が入る名前をそのままヘブライ後の「エル」(三位一体は複数形のエロヒム)すなわち「神」という言葉をそのままあてはめて直訳したため本来はただの人間であるケトラの子孫たちの日本名も5人の神々になってしまったのです。古事記ではこれと同様の私的解釈を繰り返した結果、少なくとも35人もの神々が登場することとなり、この古事記を宗教の原点に今日のように混乱したやおず800万の神々と呼ばれる日本固有の多神教宗教を作ってしまったのです。最近では、さらに50万増えて850万になったとも言われています。

                                          

<系図2>をご覧下さい。これは聖書のアダムからノアの3人の子までと古事記の登場人物イザナギからオオゴトオシヲの3人の子までを対比した系図です。<系図3>では聖書のノアの子セムからエベルまでセム系の子孫について継続して記録していますが、古事記ではこの間の対比できる系図が部分削除されており、エベルの子ペレグに対比する人物以降、再び記録されています。<系図4>ではエベルからアブラハムまでの対比ですが、アブラハムの場合このように古事記で対比するとなんと「アマテラス大御神」と呼ばれており、本来の意味は「大いなる信仰の父アブラハムの神」という意味合いを私的解釈してここでも神々の一人にしてしまったようです。

現在、日本に大和の地名が多数存在しますが、その理由は奈良が大和であった以前、東海から関東にかけて広大な大和が存在したためであり、4−5世紀頃に中国、朝鮮を攻撃した倭人の基地も東大和の国(東方の神の選民の国の意味・今の東三河)であり、当時、日本のみならずアジア全域に影響力絶大な王国であったこともあいまって、古事記の誤訳を信仰した人々の中からかつての大和王朝の再現のようにアジア全体を神々の子孫である第一系の神国日本の支配に置こうと武力戦争を引き起こしたり、天皇が現人神であるという誤った発想が生まれ、今でも日本は神の国と本気で信仰する人々が存在します。極端な話、古事記における聖書の誤訳が戦争に利用され、歴史さえ塗り替えてしまったのです。聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはなりません。他にも聖書と古事記の内容を比較検討するとすぐに分かる同一の内容が多数ありますが、それはこの位にして、ここで注目は聖書の系図ではエルダアとレウミム人までの系図しか載っていませんが、古事記にはさらにレウミム人以降の日本の歴史に関する系図が続いて載っています。<系図1のB以降>そして、レウミム人に対比する古事記の人物火おり命の二代後の子孫の四男に若御毛沼命(ワケミケヌノミコト)とも呼ばれた日本国初代天皇である神武天皇(BC711−BC585)が生まれていることです。この神武天皇が大和朝廷を建国し、127歳まで生きて高度な日本文明を開花させ、今上天皇(AD1989−)に至るまで125代、約2662年間、天皇家は実質日本の統治者であり、王として君臨し続け現在に至っているのです。天皇制度に賛否両論ありますが、現実に言えることは日本もまた有史以来、例外無くアブラハム契約の下、神に愛されアブラハムの子孫ユダヤ人によって天皇制という王政国家で建国され繁栄してきたのです。では、初代神武天皇がいつどこでどのようにして日本を統治したのかについてですが、多くの仮説ある中、明言できるのは彼の国の起こりは邪馬台国、後に大和朝廷の国となり、「大和」の意味はヘブライ・アラム語で「ヤ・ウマト」(ヤーウェの選民、神の選民の意味)であり、古代イスラエルでは確かに昔からヤマトウ民族という部族が実在していたようです。そして大和の中でも日本国家発祥の地と言われる飛鳥の橿原市には神武天皇  の広大な住居(ヘブライ語で御住居はハスカ)があったため、飛鳥(アスカ)という地名が付いたのです。

来日ルートとして考えられるのは、第一団はアブラハムによって東洋に送り出された6人から生まれた子孫たちが、東洋諸国各地に王国を築き上げながら東へ東へと移動し極東の日本へ到着。また、ソロモンの時代、貿易目的で船団を組んで黒潮の流れに乗って楽に来日した群れ。BC721年のアッシリヤ捕囚の際、全地に散らされて来日した群れ。時期的には神武天皇はおおよそ、この頃BC660年から日本の初代天皇として名を上げ統治開始しています。そして、新約時代はAD70年にイスラエル国家滅亡以降、全地に散らされて来日した群れ。その後はAD400−500年に秦一族来日。AD600年頃から景教徒来日。など過去にアシュケナと呼ばれる旧約時代の古代ユダヤ人もスファラディと呼ばれる新約時代のユダヤ人も多数来日しています。もしも、神武天皇が来日第一団のアブラハムのそばめケトラによって生まれた6人の東方における直系子孫ではなく、後の時代にイスラエルから直接航海技術を駆使して来日した一行であったならば、天皇家は今でも契約の子孫イサクによって生まれた血統のダビデの末なるイスラエルの失われた12部族の一つとして世の終わりに全員がクリスチャンになるリバイバルを体験できる可能性は十分あります。しかし、もしアブラハム契約以外のそばめケトラによってうまれた6人の後の子孫であったならば、アブラハムゆえの祝福はありますが、イスラエル直属の失われた12部族には入りません。彼らの生い立ちは神様だけが御存知です。いずれにせよユダヤ人である天皇家は日本で自分たちの都をまねた平安京・後の京都(へブライ語でいずれもエル・シャライム、神の平安、イスラエルの意味)を持つ祖国と同じ名前の町を起こし、ヤマトウ魂をもってエルサレム神殿同様、都の真ん中に八坂神社を造り(ヘブライ語でヤ・サカは「主よ!」の意味)、その他数々の神社を神殿建造物として建て上げ、これまたイスラエル同様南北に天皇王朝が分かれてしまい、今日の日本のあらゆる文明基盤を築き上げました。「ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。・・・主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。・・・大声をあげて、喜び歌え。」(イザヤ書12:2−6中略)日本人が伝統的に山に向かって「ヤッホー」と叫ぶ不可解な習慣もかつて山伏であるユダヤ人献身者が四国の山中でヤゥエの主なる神様にその御名を大声で叫んで「ヤッハー」と呼び求めて熱く祈っていたのを日本人の誰かが見てカッコイイと思って反響するやまびこの関係で聞き違えながらも「ヤッホー」と真似たのかもしれません。

                                

                                

 

                                  

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