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             ミステリー 契約の箱に注がれた血 part3

 エルサレムはBC六〇五、五九八、五八六年と、三度本格的にバビロンの攻撃を受け、陥落しましたが、ネブカデネザル王が破壊したソロモン神殿からバビロンに戦利品として持ち出された財宝と王宮の財宝などについて第二列王記二十五章十三から十七節のリストを見ると、契約の箱はそれに含まれていません。やがて七十年が満ちて、エレミヤの預言通り(エレミヤ二九・一〇)、捕虜から解放され、再びエレサレム帰還したユダヤ人はネヘミヤとエズラを指導者に、以前に劣る粗雑な神殿を再建して、バビロンから財宝が返還されましたが、その中にもエズラ一章七から十一節によると、契約の箱はありませんでした。それは、この始めの捕囚が始まった際、預言者エレミヤを始めとする忠実に宮に仕える祭司たちがバビロン軍に奪われないよう最も重要な契約の箱をソロモン神殿から持ち出してエルサレムのどこかに隠したからです。

当時バビロン軍から全面包囲されていたエルサレム城内で祭司たちが神殿から大きな契約の箱を持ち出して城外の遠いどこかの世界へ運び出すことは時間的にも環境的にもとうてい不可能だったはずです。そのため預言者エレミヤと敬虔な祭司たちが迫り来るエルサレム陥落直前に祈って聖霊様に預言的に導かれて啓示されたエルサレム城内のどこかの洞窟内に契約の箱を隠したことは十分考えられます。聖書では事実これ以降、契約の箱のありかについての記録がなく、ただ黙示録十一章十九節では世界の終末期に天にある神様の神殿の中に契約の箱が見えたとあり、終末の七年患難時代にもう一度隠されている契約の箱が世界に再登場する可能性があります。

 聖書の預言によると、やがて終わりの年に世界大戦が必ず起きます。その参戦国リストはこのようです。

「神である主はこう仰せられる。メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。わたしはあなたを引き回し、あなたのあごにかぎをかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、みな剣を取る大集団だ。ペルシャとクシュとプテも彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている。」(エゼキエル三十八・三〜五)。

これは新改訳聖書ですが、明治時代の文語訳聖書ではこうなります。

「主の言、我にのぞみて言ふ。人の子よ。ロシ、メセクおよびトバルの君たるマゴグの地の王、ゴグになんじのかおをむけ、これにむかいて預言し、言ふべし。主かくいいたまふ。ロシ、メセク、トバルの君ゴクよ。みよ、われなんじをばっせん。…」(エゼキエル三十八・二〜三)。

ここで文語訳には新改訳で削除された「ロシ」という国名があります。他の外国語の聖書で調べてもここに「ロシ」という国名が確かにあります。むかし日本では古代ロシアのことを「ロシ」と呼ぶことがありました。世界大戦はロシアがイスラエルに侵攻することから勃発します。(エゼ三十八・八、十六)そして「ロシ」の後に出て来る国名「メセク」とはギリシャ語でモーシであり、これをロシア語にするとモスクワという言葉の原語になります。このような感じで他の箇所も翻訳すると本文の意味はモスクワとウクライナの大首長なる「ゴグ」とは旧ソ連いまのロシアになり、ロシアと共に出陣する同盟国はむかしの「ペルシャ」なる今のイラン。「クシュ」なるエチオピア。「プテ」なるリビヤも参戦することになります。しかしこの戦争でロシア同盟軍は徹底壊滅して敗戦すると預言されています。(エゼ三十九章)。そのためイスラエルに敗戦する予定のロシアの同盟国、「ペルシャ」なる今のイランにとってその顔でもある大切なイスラム教の神殿・岩のドームは現在むかしのソロモン神殿があった場所に現在建てられているため敗戦国の立場上これが聖絶の対象として完全破壊されることになるでしょう。イスラエルでは今でもできればこれを除いてソロモン神殿の復活のような第三神殿を同じむかしの場所に再建したいと願って日々嘆きの壁で祈っています。こうしてユダヤ人の歴史的願い、もとの所にイスラエルのヤウェの神様の第三神殿が再建されるその日が実現することになります。(エゼキエル四十〜四八章)。

略奪され、かすめ奪われた城内の土地の領域全てを取り返し、反キリストの経済的支援のもと再建が成就して昔からのイサクの子孫ユダヤ人と、イシュマエルの子孫アラブ人との宿命的対決は幕を下ろします。そして四千年間もの歴史をかけ、隣国全てを巻き添えにした兄弟大喧嘩に大勝利したユダヤ人にとって、主の神殿の更なる完成のために、礼拝と律法の中心であり、祝福の源と考えられる契約の箱(Tサムエル四・五、Uサムエル六・一二)、これがどうしても必要とされることでしょう。

 ここで、再びパレスチナ問題を再燃させ、中東和平交渉を複雑困難にしてしまう、イスラエル政府があえて明らかに情報を一般公開しなかった機密扱いの報告があります。 考古学者であり、探検家でもあるロン・ワイアットの報告です。1982年1月にイエス磔刑の場で知られる、崖のかたちがどくろの顔をしたゴルゴダ丘の地表下にある二千年前のローマ時代の地層から、岩床に三つの並行して並ぶ、十字架の木を立ててから固定の杭が打ち込まれる為の四角い掘り下げた十字架穴と、すこし後ろの中央の崖面から2メ―トル50センチ突き出した10センチ高くなった岩棚にもう一つの十字架穴を発見し、イエス様の墓のふたとして使われ、復活の際、消え失せた丸く大きな封印石をも発掘したといいます。左右の十字架に強盗人たちが十字架につけられ、少し後方中央の約10センチ高くなった最も目立つ場所にイエス様がつけられたというのです。木と土の文化の日本とは異なり、石と砂の文化のイスラエルでは深く深く掘り下げて土砂を取り去ることにより、多くの考古学的遺産がそのまま朽ちることなく爪あとを残していることが多くあります。イスラエルではイエス様が十字架を背負って直接歩まれた当時のビア・ドロローサの旧道とそれに連なる旧市街地の一部も地下で発見されて発掘が続いたこともありました。更に驚くべきことは、この十字架を立てた穴のうち、中央のイエス様がつけられた十字架を立てる掘り下げた柱穴は幅、32・5センチ×35センチ、深さは58センチであり、丁度そこから始まって、左真下に大きな地震の際に生じた深く大きな天然のさく裂があり、その約6メートル下方の地下には小さな洞窟があって、そこに隠されていた契約の箱が発見されたというのです。しかも、それがイエス様の十字架のまっすぐ真下に位置していたのです。

世界が探している契約の箱が、何とエルサレムの郊外ゴルゴダ丘の十字架の真下の洞窟に隠されていたのです。しかし、その後、この歴史的大発見がその地を支配するイスラム教徒と聖都奪還を強行的にでも願う多くのユダヤ教徒右翼派の間で対立を確実に激化させる大変な戦争の起爆剤になることを知ったネタニヤフ首相が中東和平実現の政治的目的から発掘も立ち入りも全面凍結してしまい現在もそのままそこに埋め戻されてイスラエル政府当局の機密扱いのまま眠っているのです。実際政府が一度この契約の箱発見のニュースを実験的に流して第三神殿建設の可能性を公示して反応を調べた結果、1990年10月8日にシオンの丘大虐殺と呼ばれるユダヤ人とアラブ人の間に民族大暴動を引き起こし多数の死傷者を出すというにがい経験もありました。

ここでロン氏が一般公開した証拠写真を説明します。

図15はよく知られた観光名所のゴードンのカルバリと呼ばれるイエス様が十字架に付けられた場所のちょうど真上に位置する岩棚です。

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当時のローマ軍の支配権誇示と政府反逆者への見せしめ目的の処刑場としてここはまさに演出効果絶大などくろの面の真下ということで人通りも多い地方を結ぶ道ばたの群衆の最も注目されやすい目立つ場所があえて選ばれていたのです。確かに丘の上で何もない空を背景に十字架が立てられている映画や聖画のイメージが強いですが、実際の聖書には十字架の地に関して何もない丘の上とは一切言及されておらず、ただルカ二三・三三では『「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。』と証言されており、岩肌がどくろの面のように削られている岩棚に沿って真下を掘り進んだ結果、実際に十字架穴とさらに真下の契約の箱が発見されたのです。

 そして図16はロン自身が立つどくろの面の真下に位置する岩棚で発見された三つの加工された罪状書きを置くための岩棚の写真です。

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そしてこの写真を見ると十字架の上に張られた罪状書き「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」に対する通常の私たちのイメージとはかなり異なることと思います。聖書ではルカ二三・三十八で『「これはユダヤ人の王。」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。』とあり、他の福音書でも「十字架の上に掲げた。」と証言しますが、ギリシャ語の原語ではこの「頭上」や「上」という言葉に「エピ」が使われており、その意味はこの場合文字どおりの「上」よりは「上方」と訳するほうがもっとふさわしい言葉です。罪状書きはイエス様お一人の十字架の上方の岩棚でしかもこんなに大きくへブル語、ラテン語、ギリシャ語で別々に三枚も石膏で固めた大きな罪状書きを使って黒いパビルス製の文字で書き込まれていたのです。罪状書きとはあくまで通行人に広く掲示するための見せしめ目的で掲げられた看板です。もし一枚の紙に三ヶ国語の文字が書かれて十字架の木の上に直接張ってあったのであれば近くの通行人さえ字が小さくてなかなかよく読めません。大きく書いて人々の前で大胆に掲げる見せしめのため、このような岩棚に大きく加工した罪状書きのスペースが必要だったのです。

 そこからさらに深く掘り進めて二千年前のローマ時代の地表である岩地の大地にまで到達した十字架周辺の全容を真横から手書きしたものが図17です。

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発掘作業の際この同じ地層の現場では、紀元十四年から三十七年までのテベリウスの治世に使われていたローマ貨幣も一緒に発見されています。中でも注目は一番奥まった他の受刑者たちよりも約10センチ高くなった中央の最も目立つ岩床のステージ上に発見された一つの十字架穴です。この穴こそ左に向かって広がる大きな天然のさく裂が入っており、強盗人たちを前方の左右に位置してイエス様の十字架が立てられた中央の奥まった最も目立つ場所です。

そしてこれらの現場を真上から見下ろすように手書きしたものが図18です。

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遅くとも紀元七十年以降にはすでに十字架刑の執行がローマから全面廃止されたため、使われなくなったこの場所で一世紀頃の初代教会の信者たちが集まって、イエス様の十字架跡地を記念に壁で囲う形で教会の建物をここに建てて礼拝を捧げていたようです。

図18の太枠の囲まれた線がその建物があったという遺跡の見取り図であり、正面中央の丸いものは「あれほど大きな石」(マルコ十六・四)と書かれた直径4メートル1センチもある一度はイエス様の墓で封印目的で使われたもともと金持ちで有力な議員ヨセフ用に準備された一等墓地にふさわしい通常サイズの二倍はある大きな封印岩です。これはイエス様が復活されたため必要がなくなった空の墓から、入口のとびらとして置かれていたものを復活の象徴として当時の信者たちがごろごろ転がしてか近くの十字架のどくろの地まで運んできて確かな遺品のように納めていたようです。このようなことは、今でもイスラエルで二千年前にイエス様が直接通られた跡地にはその聖誕の地から始まって全ての場所に何らかの記念の意味を持つ教会が当時の岩肌を残した状態で建てられていることを考えると十分理解できることです。詩篇六五・十一には「あなたは、その年に、御恵みの冠をかぶらせ、あなたの通られた跡にはあぶらがしたたっています。」と書かれており、イエス様の通られた二千年前の跡地には今日でも聖霊様の油注ぎで教会が多く建設されています。

 図19は上方に突き出た祭壇石の写真であり、礼拝目的で初代教会の信者たちによって作られたようです。図17のなかで左端の岸壁中央から突き出ている岩です。

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 図20は有名なイエス様が葬られた墓の入口付近の写真ですが、その長方形の墓の入口には二千年前ローマ兵からとびらとして一度は使われたはずの封印石が、今では封印の鎖もろとも跡形なく紛失しており、これについて一体どこに移動されたのかを説明できる考古学者は今まで誰もいませんでした。

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しかし、地中から発見された大きく丸い封印石の直径はこの墓の入口の外壁両側(図20、A点とB点の辺り)に現在も残る封印石の置かれていたとき付いた傷跡と大きさが完全に一致しました。

 さらに図21をご覧下さい。これは中央のイエス様の十字架が立てられた穴の写真であり、図22はその穴から広がるさく裂部分の拡大写真です。そしてこの穴が土砂で埋まらない為に使われたとうかがえる切り出して加工された石がこの穴の栓となって入っていたのです。それが図22です。

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 ゴルゴダの丘は全体が岩山で所々水流で浸蝕されて天然の洞窟や狭いトンネルのような抜け穴が多数存在します。そこでロン氏はこのどくろの岩山の真下にも天然の洞窟があるのではないかと考えて、岩肌をハンマーとチーゼルで砕いて無理矢理掘り進め、やがて壁が崩れるようにして中に天然の洞窟を発見しました。しかし、それは洞窟と言うより迷路状に屈曲した狭い小穴のトンネルで人がはいずってようやく入れるほどであり、これら小穴のうちのどこか一つに過去に人が来た形跡がないかを調べたのです。

20人ほどのアラブ人の土方アルバイトを雇って、ゴルゴダの丘の穴という穴をすべて調べ続けて1982年1月6日午後2時、彼はたった45センチの隙間の小穴のトンネルを懐中電灯片手にはいずりながら進入するとそこにはなぜかコブシ大の石が積まれており、これを片手で取り除けながら進むと石の向こうにポカッと穴が空き、そこに天上から50センチ近くまで埋まっている閉ざされた小洞窟を発見しました。

そしてその発見された小洞窟の狭い空間に獣の皮で覆われた金の机が置かれているのが暗闇の中、懐中電灯に照らされました。それは聖所で使われていた備えのパンの机と判明。さらにこの閉ざされた空間の中に契約の箱が隠されていたのです。契約の箱は古代に物を保存する為によく使われた長方型の薄い石棺にすべてすっぽり収められており、その石棺の平らな上ふたは二つに割れており、割れたうちの小さい方が横にずれてそこに開かれた隙間ができており、小洞窟内の天上部のひび割れた裂け目にも真下に位置するその割れた石棺の開かれたふたの上にも中にも黒く固まった血がついていたのです。実に契約の箱は十字架の立てられたその現場のちょうど真下6メートルに位置していたのです。その見取り図が図24、25写真が図26です。説明によると長いさおを付けたポラロイドカメラと35ミリカメラとビデオカメラという三種類の写真撮影が行なわれても契約の箱はいつも神秘的ベールに覆われていて、もやのような金色の霧ばかりが前面に写されてぼやかされてしまい、その時ロン氏は撮影をしないことが神様のみ心であると確信したため公開できる写真はこれだけとのことです。

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 イエス様の十字架が立てられた深さ58センチの穴とそこから広がる天然のさく裂についてですが、マタイ二十七章五十一節によると、イエス様が十字架の上で息を引き取られた際、「すると見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして地が揺れ、岩が裂けた。」と証言されています。

すなわち、この岩が裂けるほどマグネチュードの高い大地震が神様によって起こされため、その時その力で十字架の真下に巨大なさく裂が入ったと考えられ、この大きなさく裂のゆえにもイエス様を最後の死刑囚にどくろの死刑場の十字架穴はローマ軍によって以後どの死刑囚にも絶対使うことができなくなったようです。では、他にどんな目的があって大地震が引き起こされたのでしょうか。目的があったのです。十字架のちょうど真下の小洞窟に隠されていた契約の箱の空間にまで真っ直ぐさく裂が走り、ほふられた神様の小羊イエス様ご自身が流された十字架の血潮を直接、注ぐためだったのです。

旧約の律法ではあがないの礼拝のときほふられたいけにえの血はいつも祭壇の上だけでなく祭壇の下の土台にも注がなければならないという不思議な定めがありました。(レビ四・十八、二五、三四)。ここにその律法が書かれたことの本当の目的があります。十字架という祭壇上流れ出た大量の血潮は流れとなり、その土台である十字架の立てられた足もとのたて穴の下の土台にまで流れ落ち、ゴルゴダの地を赤く染める必要があったのです。実にイエス様から流れ出たあがないの血潮は十字架という木の祭壇の上に注がれただけでなく律法の定めどおり下の土台にまで流れ伝わって注がれ、足元に集まってこれが大地震の際生じた大地のさく裂に従って下へ下へ真下に眠る契約の箱にまで直接流れ落ちることとなるそのためだったのです。契約の箱を収めた石棺の上ふたさえも大地震の力でみごとに裂かれて開かれ、その隙間からイエス様の血潮は見事に契約の箱にまで直接注がれていたのです。

 父なる神様の歴史を超越した綿密で完璧な御計画がここに成就されたのです。

「アロンは民のための罪のためのいけにえのやぎをほふり、その血を垂れ幕の内側に持ってはいり、あの雄牛の血にしたようにこの血にもして、それを「贖いのふた」の上と「贖いのふた」の前に振りかける。」(レビ記十六・十五)。旧約時代は暗い至聖所内で動物の血が契約の箱のあがないのふたの上と前に振りかけられましたが、新約時代は暗い地下の小洞窟内でイエス様の血潮が契約の箱のあがないのふたの上と前に振りかけられたのです。事実この発見された契約の箱の上には、十字架穴から左に広がる岩盤のさく裂ずたいに真っ直ぐ流れ落ちた血の注ぎがそのまま黒く固まって張りついていたのです。しかも、その二千年前の乾いた血をアメリカのクリスチャン医療施設の研究所にサンプルとして持ち帰り、塩化溶液に三日間浸して水和しなおしてから電子顕微鏡でDNA鑑定すると、この血は間違いなく人間のものであり、男性決定因子であるXY染色体を含む男性の血であることが判明されたのです。

人間の血液のDNAは長期間持ちこたえる大変丈夫な物質であり、二千年前の血が今日まで持ちこたえたという事例は他にもあります。二千年前のイエス様の時代よりももっとむかしに造られたエジプトのツタンカーメンやパロのミイラなどでも今日、その体内で固まった古い血液中からDNA遺伝子パターンを読み取って彼らの埋葬時期や血縁関係なども明確に特定されております。また、古代マヤ文明時代の古器物セルトはヒスイ石を彫って作った石おのかやじりのような道具であり、偶像目的でも使われていましたが、発見当時から血が付着した状態だったため、炭素14測定法でこの血を分析した結果、これが人の血であったことや古器物の使用されていた正確な年代等も特定されました。

 今日世界で最もまれな血液型として知られているのは1961年に米国マサチューセッツ州に住むRHプラスとマイナスの兄妹から確認されたボンベイ型のh‐h亜型であり、ギネスブックに申請されましたが、1982年に衝撃発見された未公開の契約の箱に注がれていたこの血はDNA鑑定の結果さらにたぐいまれなる世界で唯一の血であることが判明したのです。

 発掘が全面凍結される以前、ロン氏によるこれら一連の発見があまりにも信じがたい話であったため、その主張に反論しようと独自の発掘隊を組んでどくろの地を追跡調査したオーストラリアの探検家、考古学者であるジョナサン・グレイによると、ロン氏の発見は皮肉にも徹底的に発掘現場に足を運んで調査するほどに、現われる証拠に圧倒され、ついには確かに信頼できる事実であるという結論に達し、その詳細な追跡調査によると医療施設に持ち帰った通常ならば父親から23個、母親から23個、合計46個の染色体を持って産まれるはずの人間の血液が、この血に限って24個しか染色体を持たない男性の血であり、母親からの染色体しか持たない、科学用語でいう「半数体」の血液であり、それは部分的処女生殖によって生まれた人間の血液であるといいます。部分的処女生殖とは、医学界で理論的には一般に認められている現象であり、母胎となる処女の卵巣付近に存在するY遺伝子が卵子と結合して、処女がXY遺伝子を含む胎児を出産できるという考え方ですが、世界で唯一イエス様だけが、聖霊様によりて処女マリヤから生まれた御方として、このような特別なDNAを持つ奇蹟の人だったということです。

 一方、WARが最近発表したイエスの血潮の公開写真(図27)とその報告によるとDNAの数については全くふれていませんが、契約の箱の上から採取された証拠の血潮を微生体をもとらえることのできる特別なマイクロスコープを使って見るとそこには確かな動きがあったことを科学的に証明しています。

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なんと!イエス様の二千年前の血潮が今も生きているというのです。私もイエス様の血潮と言われる再水和血液サンプルの生粒子を超マイクロスコープ暗映像で映したものを見ましたが、そこには無数の生きて四方八方に素早く動き回る血の粒子が映像化されておりました。これらの「生きている血の粒子」とは通常の光マイクロスコープでは小さ過ぎて見えませんが実在し、科学者たちによって発見され「不滅である。」と述べられているものです。難しい話になりますが、この「不滅の血」の粒子はフランスの科学者ガストン・ナエサンスにより「ソマタイズ」(意味は創造体)と名付けられ、10ミクロンにも満たないサイズで様々なものを含みミクロザイムス等から構成されマイコプラズマ血液の液体部分のようなものです。そしてこの「不滅の血」について科学者クリストファー・バードはこう分析します。「これら生きていると粒子は遺伝物質を含んでいる事が科学者たち関係者によってさえ理解され発見されている。それは本質的には形態を変える事があるポリモーフィックだと解っているが、超高温度や激しい毒性の科学物質そのうえ核放射熱さえにも影響されない事が解った。彼らはこれを超ミクロ微生物細胞代生体であり、再生する実体であると説明しており、多くの科学者が信じているのは、これがDNAの先がけで地球上の生き物の基盤だという事です。」WAR所長のリチャード・ライブスはこの微生体粒子の存在に注目し、尿培養において通常では分割増殖するところのバクテリアがないと突然どこからかバクテリア細胞が現われてくることを発見し、バクテリアの様な形に成長する事ができる代細胞パーツの存在について調査、結果これら微生体が尿サンプルの中で完全に存在しバクテリアが存在しないときにもバクテリアの様な形に成長して実在し、これらの粒子はどんな再水和血液にも現われることを発見しました。

この様な訳でイエス様の血潮の生きた動きとは単なる混入した雑細菌繁殖ではなく、本当に生きた不滅の血の粒子そのものだったのです。

「すべての肉のいのちは、その血が、そのいのちそのものである。」(レビ記十七・十四)。

「それで後のことを予見して、キリストの復活について、「彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない。」と語ったのです。」(使徒二・三一)

「永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエス。」(へブル十三・二十)。

 では、十字架の真下、さく裂下約6メートル下方にまでも届くことのできる大量の出血とは一体どこから流れ出たのでしょうか。イエス様の手足から流れ出た血潮だけで十分だったのでしょうか。その解答がここにあったのです。イエス様のわき腹から流れ出た血潮です。イエス様がゲッセマネの園で血潮の汗を流して祈られた死の苦難から始まり、精神的に疲労困憊され、圧迫された心臓が、やがて十字架上で破裂し、その後、ローマ兵によりわき腹に槍を刺されて流れ出た、その時の流血があまりにも大量だったのです。

 人間の心臓は総延長96000キロにも及ぶ全身の血管が一生の間つまらないように絶えず流し続ける強力ポンプのような器官ですが、そのすべては意外に不釣合いなほど繊細で貧弱な交感神経と副交感神経によって支配されており、これらの神経が脳や全身からのメッセージを受けて心臓のペースと強さをコントロールする司令塔となっています。その為、大脳で生み出された人の心とはそのままこれらの神経を通って心臓に直接伝えられることから心臓とは心を映し出す鏡とも言われます。そして絶えず運動を続けて酸素や栄養分を消費している心臓の破局とは皮肉にも血液の欠乏から引き起こされるものなのです。

 人間の体内では最大の大動脈と最大の下大静脈のいずれもが心臓に集中しており、心臓の収縮によって肺動脈や大動脈へ送り出される血液量は一分間で安静時の成人で5〜6リットルもあり、激しい緊張や運動時には心拍数も上がり200回に達すると毎分16リットル以上にもなり、人間の体内血液のほとんどは脳と心臓に集中し、この血液の供給が何時間かストップするならば死のダメージをそのまま受けることにもなります。通常、人の血液の量は体重の約13分の1であり、仮に体重が80キロなら約6・15リットルです。そのうちイエス様のように激しい心の痛みが直接原因して粉々に割られた鏡のように神経取り巻く心臓を破裂させた場合は、そこから流れ出る出血量は1から2リットルもの血が赤く見えるどろどろした赤血と水のように見える透明な血清とに時間と共に分離してわき腹の辺りにある心臓下部の周りの膜の内側にたまるといいます。

「兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。」(ヨハネ一九・三四)。

 このわき腹から流れ出た血と水こそイエス様の死因が十字架の釘打ちや暴力による外傷的ショックや出血多量あるいは呼吸困難によるものではなく、筋肉の中でも強力な心臓の壁が極度の精神的苦痛に耐えきれずに破裂したという人として最も過酷な死をとげたことをものがたっているのです。そしてこの大量の血潮と極度の緊張状態で全身から心臓に集中していたすべてのイエス様の血潮が死後、ローマ兵のするどく長い槍によってわき腹から突き上げてつらぬかれたため、大地震で真下の大地が裂けて現われた契約の箱のあがないのふたにまで注がれ出る大量な流れとなったのです。

 私はイエス様のわき腹から流れ出た血潮が岩のきれつにそって6メートル真下まで十分届く程の分量なのかこれを実験してみました。近所で怪しいおじさんになるといけないからひとけのない夜中の三時ごろマンションのおうとつがある壁ずたいを選んでペットボトルで1リットルの水を壁に付けながら徐々に約6メートルある三階の高さから放水しました。すると水は広がりを見せながらも自然と落ちて行き、確かに1階の6メートル真下まで十分届く量であることがわずか1リットルでも確認できました。ましてやイエス様の十字架上流され続けた大量の血潮は契約の箱まで注がれてあまりある量だったと確信します。

 神様の摂理はあまりに偉大で、驚嘆するばかりです。そして契約の箱は製作の際、主の命令により大量に用いた純金製であった為、(出エジプト二五・十〜二二)、非常に強固であり二千六百年間、経っても朽ちることもなく、人の容易に入れない未知の洞窟内、ほぼ完全な状態のまま保存され、そこに注がれたイエス様御自身の十字架の血潮も、暗い洞窟内の適度な気温と湿度により、腐りはてることなく二千年間もちこたえて契約の箱にそのまま黒くはりついたままだったのです。

 私はこれらの報告を信じる一人ですが、意外と契約の箱およびイエス様の血潮発見の報告がキリスト教会界で知られていないため、このすばらしく力ある主イエスの血潮についての知識を一人でも多くの人に広める使命感をもってこれらありのままの報告をこの章に書きました。

 契約の箱は輝く純金でおおわれています。(出エ三十七章)神様があえて契約の箱をたくさんの純金でつくらせた本当の理由は、当時の神様の偉大な栄光に加え、数千年先の後の時代になっても朽ち果てることなく、やがて注がれるはずのイエス様の純金よりも尊い血潮をそのまま受けて保存して証しすることのできる唯一の朽ちない受け皿となる為だったのかもしれません。やがてDNA鑑定技術がさらに飛躍的向上した世の終わりの最もふさわしいころ、多くの人々の預言するとおり契約の箱が再び発掘され、今度こそ全世界の注目を浴びることになるでしょう。ある人々の視点は数億円以上にも及ぶ、その純金の物質的資産価値と巧みなケルビムの装飾による芸術性に目を見張ることでしょう。しかし、私たちクリスチャンが最も大きく目を見張るのは輝く黄金以上に尊く価値があり、巧みな純金製の最高傑作品を受け皿にしてもまだ足りない、そこに黒くはり付いているイエス様の十字架の血潮の霊的資産価値に視線が釘づけとなるのです。人間の血潮のDNAは、大変丈夫であり、冷凍や洞窟のような特定条件の下では、永遠に保存でき、熱や冷気にあたっても破壊されにくい非常に強固な構造をしているように、イエス様の血潮は今日も超高温や激しい毒性の科学物質や核放射熱のような迫害をものともせずに乗り越えて、力強く生きて働きかけ、私たちに十字架のあがないを語り続ける永遠に変わらぬ確かな現実の証拠なのです。

「あかしするものが三つあります。御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。」(Tヨハネ五・八)。ハレルヤ。

 旧約時代、一年に一度のあがないの礼拝の日に、大祭司は、午前九時から始まって明るい太陽の下で洗盤で自らを聖めて、祭壇上のいけにえをほふり、その周りに血を注ぎました。ここまで少なくとも三時間はかかり、やがてこれが終わると次に残りの血を器の中に入れて手にし、更に奥深い至聖所へと入っていきます。「チャリン。チャリン。チャリン。」外の大庭では鈴の音が祈りながら大祭司を待つイスラエルの民の間にこだまします。聖所そして至聖所へ、そこは本来真っ暗な光のない場所であり、最も聖なる場として大祭司の務めはさらにここでも厳粛に三時間はかかりました。こうして、大祭司が契約の箱のあがないのふたに血を注ぎ終わり、一切のあがないを成し遂げるとあがないの使命が今年も無事に果たされたことを確信した大祭司は誤って殺されなかったことにもホッとして長いひもを引きずりながら再び民の待つ明るい大庭へと戻っていきます。「チャリン。チャリン。チャリン。」イスラエルの会衆の前に無事戻れた大祭司はそこで大胆に宣言します。「テテレスタイ。(完了した。)

」これにより民はいけにえの血が神様に受け入れられ、罪赦されたことを確信しあがないの礼拝が完了したのです。ちょうどこれと同じ事が十字架でも起きました。イエス様は御自身が神様の小羊として十字架の祭壇でほふられて血潮を流されたお方であり、午前九時からの三時間は明るい太陽の下で十字架にかけられ、昼の十二時から息を引き取る午後三時まで最後の三時間は、驚くことに光なき至聖所の真っ暗闇のように、太陽が日食状態で光を失い、全地が暗闇に包まれたのです。

「そのとき、すでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。太陽は光を失っていた。また神殿の幕は真二つに裂けた。」(ルカ二三・四四、四五)。

これは世界がイエス様をささぐるための神聖なる至聖所と同じ環境になるために太陽は光を失ったのです。主の御前、全世界が至聖所となったのです。そのため赤くなめした雄羊の皮や赤くなめしたジュゴンの皮などに完全に覆われた真っ暗な至聖所内(出エ二六・十四)で契約の箱に血が注がれる時、超自然的に明るい神様の栄光の臨在の雲が現われてそこに満ちたように、今は、雄羊やジュゴンの赤い皮のような赤いイエス様の血潮をあがめて、その血潮に覆われた時その環境こそ神様の至聖所となってその臨在、聖霊様が全世界のどこでも下ることができる明るい新時代と変えられたのです。このような目的で暗闇が世界を覆ったのでしたが、あがないの犠牲はあまりにも大きく全地はあたかも父なる神様が御子なるイエス様の御苦しみを見るのに絶えかねて、目をつぶられたかのようでした。全ての被造物は御子の死により、喪に服し、色を失ったかのようです。こうして全地は真っ暗な光なき至聖所となって全世界という至聖所の只中、世界の中心に立てられた十字架からあがないの務めが成し遂げられ、最後にイエス様は叫ばれたのです。

「テテレスタイ。(完了した。)」こうして息を引き取られるや否や、聖所と至聖所を仕切る七.五センチもある神殿の垂れ幕は人手による下から上ではなく、超自然的に上から下まで見事に引き裂かれたのです。それはちょうどイエス様の御体が人手によらず天の父なる神様の御心で引き裂かれたようにです。

そしてこのように息を引き取られたイエス様のわき腹から流れ出た血潮と水はあがないの血潮と実にひとり子さえも与えるほど私たちを愛された父なる神様の涙でもあったかのようでした。  

 今は、すでにイエス様の血潮が契約の箱に注がれ、父なる神様に受け入れられた証拠の聖霊様も暗い全世界に注がれた希望の時代です。暗い至聖所内で大祭司が聞いたイスラエルの民へのおごそかなみ声のように、注がれたイエス様の血潮に答え、まことの至聖所なる天国の父なる神様の御座からも大きなみ声が全世界に響いております。「大きな声が御座を出て、聖所の中から出てきて、『事は成就した。』と言った。すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった…。」(黙一六・一七)

「島は全て逃げ去り、山々は見えなくなった。」(黙一六・二〇)

 十字架で肉体という垂れ幕を裂いて血潮を流し「テテレスタイ。(完了した。)」と叫ばれたイエス様の死と復活に答えて、今や天上では正義の裁きがこの乱れた世界に対して始まろうとしています。日本列島という島も例外ではない七年患難という裁き、それに続く第一の死、第二の死という地獄の裁きが現実化します。しかし、聖書では全く同じイエス様の注がれた血潮のゆえに、もう一つの別なメッセージも同じ父の御座から大きなみ声として全世界に響いております。

「そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのをを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙二一・三、四)

 これは父なる神様と和解し神様の子供となり、天国へ入る新しい生ける道、復活のイエス様を信じる命の道です。ここに預言された来たるべき天国で父なる神様ご自身が直接、彼らの目の涙をすっかりぬぐいとってくださるという「彼ら」の中には今この世で涙する私たちの将来だけでなく、実に将来のイエス様ご自身も入っているのです。イエス様はかつて聖餐を変わらない記念に定めて弟子たちの前で誓願されました。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」(マタイ二六・二七〜二九)。

 御座におられる父なる神様の叫ぶ大きな二つの御声、それは地獄の裁きか天国の祝福、二つに一つです。今は右に座す真の大祭司としてぶどう酒の喜びではなく、残された私たちの救いの為に目から涙を流しながら本気でとりなし祈るイエス様の切実なる願い、それはたった一つの思い、父なる神様と同じ聖霊様と同じ思いです。それは、「地の果ての全てのものよ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。他にはいない。」(イザヤ四五・二二)

全世界がイエス様の十字架を仰ぎ見て、その血潮によりて救われることです。和解の道、命の道、天国の道です。これを選択して右にも左にもそれないでイエス・キリストの道だけを進むことです。

「忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。」(黙一・五、六)

純福音立川教会