自動車 


 

                          

「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」 (詩篇20:7)

 あるとき、教会のセカンドカーの必要を感じて祈り求めました。「主よ。御心ならばポンコツでもいいから、もう一台、車を与えてください。」その後、用事があって私の郷里の札幌に帰り、懐かしい聖徒たちとよき交わりを持ちました。帰りぎわにある兄弟が「使ってない車があるんだけど、少し車検と保険が残ってるんだ。古くて安い車だけどよかったら要りませんか。」 

誰も知らないはずの私の祈りにこんなにも早く主が答えてくださった。そう確信した私はその兄弟の車をいただくことにしました。「よし、東京まで乗って帰ろう。」想像以上に古い年式でさびが少々あるマニュアルギアタイプの手放しても値段がつかないような安い軽自動車でしたが、あくまでセカンドカー。動けばよい。ちょうだいした私はいざ、函館のカーフェリー乗り場へちょっとしたドライブ旅行を楽しみました。函館に近づくと森という地名の町がありました。環境は名前の通り広い北海道の森のように自然豊かな町でした。が、しばらく走行していると突然、迂回路の表示が出てきて工事のおじさん。誘導されるままに本線の国道を離れて迂回路に入るとさすが北海道。迂回路だけで20分もかかる複雑な山道。たまたま先を走っている地元の車が見えなかったら心細くて確実に迷ってしまうような山道を20分以上も走破した後、一般の民家がある市街地へ。そして再び本線へ。しかしそのとき、めったに電車が来ないと思える段差の激しい線路を横断するのにスピード超過で軽自動車の腹をゴンとすりつけ、その瞬間、新たな変化を感じました。

「ずいぶんマフラーからの音が大きい。いや、かなり大きい。」なんとマフラーが段差にやられて見事に折れてしまいました。小さな軽自動車といえどもマフラーが外れればかなりの爆音(笑)

しかし、現在東京へ向けてドライブ旅行中。あまり気にせず走りに走り続けて函館カーフェリー乗り場。船で渡って青森県。そこからは東北自動車道で一挙に東京へ。快調に爆音を上げながら高速走行しているとちらほらと雨。ワイパーをまわしながら高速走行。すると強い風にやられてワイパーのゴムがはがれ始め、それでも運転をやめられないのでワイパーを回し続けること数時間。後はフロントガラスに確かな深いすり傷。しまった。その後、仙台あたりを通過すると、爆音をもみ消すためにつけていた北海道HTBラジオがだんだん聞こえなくなって、終いには雑音だけ。「ああ。なるほど北海道の寒冷地仕様の車のラジオは北海道用に周波数がワンプッシュで設定されているのだから電波がそろそろ届かないこの辺りでは使い物にならないのだ。」こうしてラジオ故障。折れたマフラーで飛ばし続けること7時間。古い車に無理がかかったようで最高速が130キロから115キロくらいまでダウン。どこかが弱って壊れたらしい。深夜に東京立川市へ到着。経費を考えると飛行機で帰ったほうがはるかに安上がり。しかしこれもセカンドカーのため。東京で再発見したことはこの町は道が狭いぎみなので特に商店街を走行中はそのマフラーなしの爆音と札幌ナンバーのゆえにもやたら多くの通行人が振り返る振り返る。目立つこと限りなし。しばらくはそれでも苦労して運んだセカンドカーだから都内を走行していましたが、最後は断念。しみじみこの車を眺めながら悟らされるのは「確かにこれは都内どこを探しても発見できないレベルのポンコツだ。そして祈った言葉とおりにポンコツだ。」しかし、いまさらながら思うのは「祈りは確かに答えられて車が与えられた。しかしなぜ始めからポンコツを祈り求めたのだ。どうせ与えられるなら高級車を求めればよかった。」このポンコツは結局半年ぐらい付き合った後、あげるのに私の方が4000円も払って中古車屋に持っていってもらいました。この体験から今では何でも決してポンコツは祈り求めないことに決定しました。

 イザヤ書22:17「 ああ、ますらおよ。主はあなたを遠くに投げやる。主はあなたをわしづかみにし、あなたをまりのように、くるくる丸めて、広い広い地に投げ捨てる。あなたはそこで死ぬ。

あなたの誇った車もそこで。主人の家の恥さらしよ。 わたしはあなたをその職から追放し、あなたの地位から引き降ろす。」この御言葉は私がかつてダイアナ妃が突然の事故死というショッキングな報道を聞いた後、書斎で聖書をばっと開くと最初に目に飛び込んできた箇所です。一説では翌日に妊娠にともなう婚約発表を控えていたダイアナ妃たちに対するイギリス王室からの暗殺疑惑。イスラムの血統が王室内の血族になることへの懸念。イギリス王子たちの未来を守るために…。はたしてこの御言葉がそのまま預言だったのか分かりませんが、まりのように、くるくるクラッシュしたベンツの残骸を見ながら誰もが心を痛めた痛ましい事故でした。

 あるクリスチャンのチームがこの時期、祈り会の中でこの事故を事前に預言しました。

「今からイギリス全土が花でいっぱい満たされます。しかしその花は喜びではなく悲しみの花です。」ドライバーなら誰でも細心の注意が必要です。

 

                         赤い馬と白い馬

 昔の馬は今の車であり、これから先も馬は聖書的に用いられます。特に世の終わりの終末七年患難時代の最終時期にはイスラエルの北部レバノン、シリア、ヨルダン三国の接点に近く、ヨーロッパ、アジア、アフリカ大陸の交通の要衝としても注目されているハルマゲドンにて、世界最終戦争が起きると預言されております。(黙九・一三〜一九、一六・一二〜一六)。

 その日、反キリストの世界支配に反発した中国を始め、日本のようなアジア諸国連合軍が騎兵を組織してイスラエルに侵攻します。

 黙示録九章十六節では騎兵の数は二億であり、人類の三分の一を殺すために解き放たれると預言します。現在すでに中国の民兵隊は既に二億五千万人いて、人類の三分の一を滅ぼす殺傷能力ある核兵器も保有しております。この戦争は人類史上最も血なまぐさい大惨事となり、その死者はメギドの谷間から流れ出た葡萄酒のようになり、馬のくつわに届くほどの千六百スタディオン(二九六q)にも広がると預言されています。(黙一四・二〇)。それゆえ、イエス様の救いの血潮を拒み、自らの不義の血(エゼキエル一六・二二)に溺れることとなる神様の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れられた全ての不信者の象徴は、二メートルくらいはあろう馬のくつわまで届く赤い血の海につかった赤い馬です。反対にイエス様の血潮を信じて救われて、七年患難の来る前に空中携挙された私たち全てのクリスチャンは、この日、空中から白い馬に乗ったイエス様に付き従って地上のオリーブの山に降りて来る地上再臨をします。その象徴は白い馬です。

「また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、『忠実また真実。』と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。その方は血に染まった衣を着ていて、その名は『神のことば』と呼ばれた。天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。その着物にも、ももにも、『王の王、主の主。』という名が書かれていた。」(黙一九・一一〜一六)。

 イエス様につき従って、真白い聖い麻布を着た私たち全てのクリスチャンも白い馬に乗って地上再臨します。その時最も注目に値するのは、大空を覆う白い雲のように白くはなはだ数の多い大群衆となった全てのクリスチャンのまとう白い衣と白い馬たちに囲まれて、一際引き立ち目立つ紅一点の赤があります。それが白い馬に乗られたイエス様の身にまとわれた血潮に染まった御衣の色なのです。多くの王冠を受け、「神のことば。」と呼ばれるイエス様のまとわれた御衣だけは白い空と白い馬と白い衣の只中、唯一血潮に赤く染まっており、そこにはわかりやすく「王の王、主の主。」と書かれているのです。実に全ての者、ことにイエス様を突き刺した人々がはっきり仰ぎ見るイエス様の御衣に染みた、この血潮こそ御自身が十字架で流された尊い、あがないの正義の血潮なのです。