悪霊


                

                                               霊の癒し

聖書は霊的病である霊のバイ菌サタンとの戦いについて教えています。体がバイ菌と戦うのが当然であるように、御体なる教会の戦うべき敵がサタンです。動物界に天敵があるように、霊の世界に住む人間の天敵は人間ではなくサタンです。

「兄弟たちは小羊(イエス様)の血と、自分たちのあかしの言葉のゆえに彼(サタン)に打ち勝った。彼らは死に至るまでも命を惜しまなかった。」(黙一二・一一)。

 天敵サタンに対する勝利の武器はイエス様の血潮と個人的に救いの証しが立つような、御言葉による新生の聖霊体験、そして忠実な信仰です。信仰の確信無く戦うならば、使徒十九章十六節にある、実験的に悪霊を追放しようとしたスケワの七人の息子たちのように、かえって打ち負かされてしまいます。悪霊も必死です。実験レベルで出ていくものではありません。自分たちの王国の権威と住む家が、かかっているからです。人間の場合でも、たとえ不法占拠した家であってもすぐには立ち退かないように、本気で戦う必要があります。常に御言葉と聖霊様に満ちた聖い状態で、信仰を持って戦うのが霊の戦いです。そしてイエス様の血潮を賛美でたたえることがあなたの力です。サタンはもともと天国の天使たちのうち三分の一の軍勢を従える天使長ルシファーであり、主のみもとにいつもいながら神様に賛美を捧げる聖歌隊長の使命が与えられていました。天国では他に天使長ミカエルもいて、広い天国内の治安維持の目的で巡回する警備員のような使命が与えられ、その下にも天使たちの三分の一の軍勢が置かれていました。後にルシファーが堕落してサタンになった時から「神の賜物と召命とは変わることがない。」(ローマ十一・二九)主の御前、ミカエルは警備から実際に戦う天使長となって応戦し、空中で今もサタンに対抗する霊的戦いをくりひろげています。また、天使長ガブリエルもいます。彼はもともと広い天国内で天使たちの間を行き巡って神様からのメッセージを忠実に伝言する使命があり、ガブリエルの下にも天使たちのうち三分の一の軍勢が置かれていました。後に地球と人間が造られた時からガブリエルは地球にやって来ては神様のメッセージを人々に伝える使命を果たし、今もサタンの妨げに応戦しながら伝言しています。

ダニエル書十章二一節にはこれらミカエルとガブリエル以外他には誰もいないと書かれています。これは想像上の世界ですが、ルシファーの堕落ぶりはこのような次第だったのでしょう。ルシファーがいつものように賛美しながら外を見ているとミカエルは天国内警備のために神様のみもとから離れて巡回に出発して飛び立ち、ガブリエルもメッセージ伝言のために神様のみもとを離れて出発して飛び立ってしまうため、ただ一人残された天使長ルシファーは心の中で高ぶり始め、大きな勘違いをしました。「私は天使たちの中でも一番えらいのだ。ミカエルは警備員で外回り。ガブリエルも郵便配達員で外回り。しかし、この私はいつも一番神に近くいてあまり動かずに美しく輝きながら賛美だけしている。私は暁の子、輝く明けの明星だ。私の天国の地位はすでに確立されており、私は天使長の中の天使長。万軍天使たちのトップだ。今からは天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、山にすわろう。頂きに上ろう。いと高き方のようになろう!。私は天国のVIPだ。」こうして、使命と賜物の違いも全くわからずに大きく勘違いしたルシファーは高慢の罪から破滅に陥り、汚れたサタンとなって聖い天国から追放され、地上に投げ落とされたのです。このときサタンは竜のしっぽで巻いて道連れに自分の配下にいた天国の天使たちの三分の一を引き連れて地上に落ちてきたのです。(黙十二・四)。

その後サタンはエデンの園でアダムを手に入れ合法的に人間と地球を我が物としていまや地球の中心の地下の国よみに本営を設けてそこから手下の堕落天使たちを悪霊たちにして地上に送りこみ人々に悪を助長して神様に逆らわせているのです。しかし、天使たちの数の上でも三分の二対、三分の一すなわち二対一、神様の軍隊の圧倒的勝利の軍配はすでに上がっています。私たちが今、地上で信仰をもって祈る時、この戦いに参戦でき、天上の神様の軍隊はさらに敵軍を退けて前進できるのです。

悪霊が人に入る接点は罪、恐れ、心の傷、憎しみ、家系に働く呪い等です。これらの癒しの祈りも同時に必要です。それはハエの好んで止まる汚い所をなくすことです。

クリスチャンの霊は神殿として聖霊様が住んでおられますが、心と肉体の領域は未だ戦場です。押さえつけられて支配されないように戦わなければなりません。神様の御使いが正義の軍隊であることに対抗して、サタンの使い悪霊たちも悪を助長する軍隊のような組織を持っています。人が救われると丁度、かしらの一番強い千人隊長がその人から追放され組織崩壊状態となり、もはやサタンに完全支配されなくなりますが、変わりに聖霊様に満たされていないと雑兵のような古きの七つの悪霊が再び帰ってきて住みつこうと罪に誘惑します。

 私は多くの人々が悪霊から解放されるのを見ましたが、長年入っていた悪霊は根が深く、出るのにも時間がかかりました。教会につながらない限り全て追放出来なかった例もありましたが、本人が強い意志で解放を願って離れない人は、悪霊が出ていきました。その時しゃべった悪霊の言葉で印象的なものをあげます。

 ある街での集会中、賛美による主の臨在の中で、占いの霊に憑かれた女性が床に倒されて、苦しみのたうちながら言いました。

「おれを追い出すことの出来た牧師はこの街には誰もいなかった。おれはこの女に十二年住んでいるのだ。」

「おれがこの女から出たらこいつはイエス・キリストのために働くから出ない。」

「絶対、舌だけは、はなさないぞ。」

「おれはレギオンだ。」

「あと二分の一残ってる。あと三分の一、あと四分の一、弱くなってきた、追い出されるぞ、助けてくれ、仲間を呼んでくれー。」

 また、ある家系に働く偶像の霊に苦しむ男性は言いました。

「異言、異なる言葉、意味が分からない。やめろ、やめてくれ、聞きたくない。」

 また、ある宗教と淫乱の霊に憑かれた男性はこう言いました。

「泉―。このやろう。」

「今日は礼拝のない日だから、おれたちには好都合だ。」

「おれの名前を知りたいのか、教えないよ。」

「おれはこいつとあの女を姦淫に落とす計画を持っていたのに何故じゃまをしたか。」

「おれの名前は家系の霊だ。」

「いやだ、おれは出ていかない。こいつがおれを願っているから出ないんだ。こいつが悔い改めないからおれが出るはず無いじゃないか、そうだろう?」

「悪魔も疲れる。」

 悪霊はこんなものですが一番の解放は徹底した罪の悔い改めです。すべての罪を口で告白してからイエス様の血潮で悪魔を縛り付けて命じましょう。(マタイ十二・二九)

「イエス・キリストの御名によって命じる、出ていけ。」(使一六・一八)。

と。ただし、偽りの父、悪魔にはしゃべらせない方がもっといいです。

(マルコ一・三四)。

本来悪魔がしゃべることが許されるのは、名前を告白する時だけです。イエス様も悪霊どもの名前を呼んで追放しているからです。

「おまえの名は何か。」(マルコ五・九)

 具体的に人にとりつき苦しめている悪霊の正体を明らかにしたうえで名前を呼んで命じることが効果的な悪霊追放になります。(マルコ五・八、八・三三、九・二五、

マタイ四・一〇)。

詩篇九十七篇十節には、「主を愛する者たちよ。悪を憎め。」とあります。悪を単に嫌うというレベルではなく、むしろもっと強く積極的に敵として、心から敵意をもって対抗せよということです。小さな罪もやがては人を不幸にし、滅ぼし尽くす敵なる黄泉の勢力と知り、妥協せず、義をもって立ち向かうことです。

 献金を盗み続ける罪を犯し続け、後にはイエス様を裏切る最大の罪にまで落ち込んだイスカリオテ・ユダの場合、サタンはユダに入る時、突然ではなく二段階スライド方式で徐々に入りました。一度目はその心にイエス様を銀貨三十枚で裏切って祭司長たちに売ろうとする「思い」を入れていたとあります。(ヨハネ一三・二)。ユダにとってはこの裏切りの「思い」がなぜか面白く思えて甘く捨てられません。それでこのサタンの「思い」を日々愛して反すうするユダに対する全知全能の神イエス様の与えられた悔い改めの機会は最後の晩餐の時です。「パン切れを浸して与えるもの」が私を裏切ると、警告の伴った預言をされ、パン切れをユダに与えたその時、ユダが自分の自由意志でパン切れを受け取ると二度目、完全にサタンが彼に入ったのです。(ヨハネ一三・二七)。ユダはサタンに支配されてしまい、自らをコントロールできずに裏切り計画実行の為すぐに外に出ていきました。ユダにとってその時は霊的にも実際的にもすでに夜でした。人の罪は内にすくう癌細胞のように成長するものですが、始めの悪い「思い」の段階ですぐに悔い改めて告白し断ち切るならば、後はサタンに完全に支配されてしまうことは絶対ありません。人類最初の殺人者カインの場合、始めは主に受け入れられた弟アベルをねたむ心から罪の苦い根は張りめぐらされていきました。その時も、このようなカインでさえ愛の主は悔い改めの機会を与えられ御言葉を与えられたのです。

「そこで、主は、カインに仰せられた。『なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。』」(創四・六〜七)。

 しかしカインはかたくなに心の戸口で待ちぶせて恋慕う罪と、その背後のサタンを内側深く受け入れて、結婚し一つとなって罪を身ごもったあげく、弟アベルへの殺人という悲劇を出産したのです。第一ヨハネ三章十二節ではこのようなカインは悪いものから出たサタンの子であるといいます。

「エルサレムよ。救われるために、心を洗って悪を除け。いつまで、あなたの中には邪念が宿っているのか。」(エレミヤ四・一四)。

 いつも、イエス様の血潮で心洗われ、サタンの働きかける接点なる邪念を汚れた敵として、初期段階から聖絶して全ての思いから締め出す習慣をつければ、私たちはたやすくサタンに打ち勝つことができます。

 サマリヤの町で執事ピリポの宣教により汚れた霊は人々から大声で叫んで出て行き、癒しのリバイバルが起きました。(使八・七)。悪霊は入る時は静かにこっそりと、泥棒のように蛇のように入り、信仰も希望も愛も喜びも祈りも盗んで、最後は正体がばれる時、大騒ぎして七つの道に逃げ去るものです。(申二八・七)。その現われは、蛇や犬のようにひんぱんに舌をスティックのように出したり(イザヤ五七・四、エレミヤ九・八、詩篇五七・四)、汚れた空気のような状態で叫んだり、吐いたりあくびしたりして汚れいっぱいで損させたり、恥かかせたりしながら出ていきます。アダムが食べて罪を犯したように、その子孫も食べてはいけない汚れを食べると霊の胃腸を壊して吐き出すのです。更に強いものは物を壊したり(ルカ八・二九)、小さな生き物を殺したり(ルカ八・三〇)、主の僕の血を流したりして(ヘブル一二・四)(使一六・三三)、出ていくこともあります。

 黙示録十七節八節では大水の上に座っている大淫婦という女が、聖徒たちの血とイエス様の証人たちの血に酔っているのを使徒ヨハネは目撃し、この女がやがて滅ぼし尽くされると預言されていますが、キリスト教の歴史は今も殉教者たちの流された血の土台の上にリバイバルしながら世界に広がりを見せ、その始まりは、サタンの頭を打ち砕いた勝利の主イエス様の十字架の血潮にあります。使徒パウロが占いの悪霊を女から追放した後この悪霊は住む家を失い、全地の面と地下のよみを拠点に聖霊様の水のない所をさまよったあげく、どこにもないので渇き果てて、このまま敗北してよみに帰ればサタンに怒られるので、仕返しに女から占いで利益を受けていた悪霊の影響根強く利用しやすい主人たちに強く働きかけ、パウロを迫害し、役人に訴え出て、獄中にまで投じたのです。その時、パウロとシラスはむち打たれ血を流したのです。

特に強い種類の悪霊は血を流すほど、本格的な、命がけの信仰で取り組んで戦う時出ていく、実にしつこい性質のものもあります。

 私は今まで救われた信者の家の仏壇や神棚等の偶像を焼き捨てる作業中、手を軽く切って血を流したことが何度かあります。また、悪霊の対抗というものもありますが、これも立ち向かう時必ず勝利できます。イエス様が舟に乗られ湖の向こう岸ゲラサ人の地に行きレギオンにつかれた男を救おうと出発されると湖上の大暴風に見舞われ事前の妨げを受けました。イエス様はその時、権威をもって風と湖の背後に働くレギオンを見分けてしかりつけて言われました。「だまれ、静まれ」(マルコ四・三九)。

 悪霊を追放すると風は止み、湖は即座におおなぎになったのです。イエス様は御名の権威をもって勝利されました。パウロもまたこの種の攻撃的妨げを受け、コリントからテサロニケの教会に行くことを二度もサタンに妨げられたと告白し(Tテサロニケ二・一八)、ローマの教会に行くことも何度も妨げられ、今なお妨げられているため行く代わりにローマ人への手紙を書き送ったのです。(ローマ一・一三)。

 マルコ五章六節では、嵐を静めたイエス様が、船でゲラサ人の地に到着した時、船沈没大作戦に大失敗し、もはや勝ち目のないことを知ったレギオンはここですぐに駆け寄ってきて、イエス様を拝して、嘆願するという戦術に作戦変更しています。勝ち目がないと解ったため変身してこびへつらう戦術です。このようにサタンはいつも狡猾で、巧みにかけられた罠のような策略を使う性質があります。(Uコリント二・一一、エペソ四・一一、六・一一)。しかし、神様の子供である私たちは悪魔の仕業をことごとく打ち壊すことができます。(Tヨハネ三・八)。

 悪霊は人間の中から追放されると更に次元の低い存在である動物の中に入って暴れることもあります。一人に六千匹もの悪霊が住んでいた大型リゾート・レギオンマンションのような男から悪霊どもがイエス様によって追い出されたとき、律法的に汚れたものとして入りやすかったのか動物の豚を選んでレギオンは引越ししました。(マタイ八・三二)。いっせいに六千匹の悪霊軍隊が二千匹の豚の群れに入り込んだため一匹の豚につき平均三匹ずつ入りました。すると一匹の豚の頭の中で一匹の悪霊は山へ行こうと言い、もう一匹の悪霊は海へ行こうと言い、もう一匹の悪霊は空を飛ぼう、と言うから豚は頭が狂ってしまいいっそのこと全ての願望を満たすミックスした行動をとろうと思い、山のように高い崖の上から海のように広い湖の中へ空飛ぶ鳥のように豚の群れはダイビングしてしまいました。

ピリピの教会には犬と悪い働き人と肉体だけの割礼のものに気をつけるよう教えていますが(ピリピ三・二)、信仰のない異邦人や悪者や律法主義者だけでなく文字通りの犬にも悪霊が入って狂犬病のようになることもあります。

 以前、地方のある聖徒の家で三十人程の子供のクリスマス礼拝を捧げ、信仰告白を導いた時のことです。子供たちから悪霊の出ていった丁度同じ時刻に、礼拝に来れなかった隣の家では、にわとり小屋に狂った犬が網を破って入り込み十数羽を引き裂いたことがありました。しかし時に犠牲があっても、主は私たちのたましいの救いを最上のこととして考えておられます。豚の群れという大きな財産以上、たった一人のレギオンにつかれた人の解放を主は優先されます。主は私たちのことを天よりも、地の富よりも尊ばれ、特別な存在として第一に愛していらっしゃるのです。しかしながら主は動物も愛しておられます。私の妻が以前、祈祷院で毎月の三日間の断食が終わって聖霊様に満ちて帰宅した時、家で飼っていたペットのセントバーナード犬が風邪を惹いて死にそうになっていました。獣医の話ではもうだめだということでしたが、妻は信仰が生じて家族のように愛する犬の頭に按手して熱く祈りました。祈ると申命記二八章四節の御言葉が心に強く迫ってきたのでさらに癒しを堅く信じました。「あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むものも、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。」信じて祈り終わると犬は癒されて元気に立ち上がりました。ハレルヤ。

 私たちがイエス様の御名の権威と血潮の力でサタンに命ずる時、主の権威に従わずあくまでも対抗して出て行こうとしない不従順な悪霊どもは神様の霊の世界の法律を犯す為、まだその時ではないのに暗闇の穴の中に投げ込まれる刑罰が用意されています。(第二ペテロ二・四、ユダ六)。悪霊どもはこの唯一の主権ある神様の法律をよく知り恐れおののいています。(マタイ八・二九、ヤコブ二・一九)。ですから、この知識を持ってねばり強くあきらめない信仰で祈る時、最後は必ず一匹残らず悪霊追放することができます。悪霊追放後は絶対、心も環境も再び受け付けないように決心して、力の限り見張ってイエス様の血潮で心を守ればよいのです。そして必ず「二度と帰ってくるな!」(マルコ九・二五)(ルカ一一・二四)と宣言して心の扉を閉じて感謝礼拝しましょう。クリスチャンなら誰でもイエス様を信じた時から、すでに勝利者であり、心の王座はただイエス様、ただ聖霊様歓迎の神殿です。霊的病サタンを追放できる権威を持つ特別な存在なのです。

 

      エドムからの水

 イスラエルとモアブが戦争状態の時、イスラエルの預言者エリシャは先ず、立琴をひく者を呼び寄せて賛美させました。すると主の御手がエリシャの上に下り、彼は主の啓示を受けてイスラエルの圧勝とそのために成すべきことを具体的に指示預言しました。成すべきことは、谷に溝を掘ることです。それは、この谷に今から水が溢れ満ち、この水により奇蹟を主が成されるからです。賛美の力はまことに偉大です。主の御前、人生のさまざまな戦いの中で人間的な解決手段をとろうと走り周って試行錯誤する以上に先ず座って、主に向かって賛美を捧げるならば必ずその人には主からの最も良い考えもしなかったすばらしい啓示が与えられ、成すべき明確なビジョンが預言されます。サウルの場合もロバ捜しに走り周って疲れ果て途方にくれているとき神様のギブアにて盛大に賛美を捧げる預言者の一団に出会い、サウルは賛美の臨在の中で主の霊が激しく注がれて、新しい人に変えられて王位につくという明確なビジョンが与えられました。私たちは何をするにも人間的考えをわきにおいて先ず、神様の国と義を第一に選択し、主を賛美してあがめる事から始めましょう。

エリシャ率いるイスラエル軍は、賛美のうちに示された主の啓示に従い谷に溝を掘りました。翌日、朝になってみると、なんと集中豪雨のため川からあふれ出た大量の水がエドムのほうから流れて来て、この地は水で一杯に満たされていました。敵軍のモアブは武装して国境の守備につきましたが、ちょうどこの時間昇る太陽が水のおもてを特に赤く照らして反射していたため、それは水ではなく赤い流血だとモアブは誤解して戦略を誤って言いました。「これは血だ。きっと王たちが切り合って同士打ちしたに違いない。さあ今モアブよ、分捕りに行こう。」(第二列王三・二三)。

こうしてモアブの軍隊は惑わされて早合点し、心の武装を解除した安心状態でイスラエルの陣営に分捕り目的で喜んでのんびり攻め入ると、なんとイスラエル軍は相変わらず同士打ちもなく、元気一杯にしっかり武装したまま立ち上がって力強く応戦してきた為、血のような水に惑わされて誤判断を下し、心底油断しきっていたモアブの軍隊は包囲されてことごとく打ちのめされ、勝利の軍旗はイスラエルにひるがえったのです。

ここに霊の戦いをする神様のイスラエルなる私たちも容易に敵軍なるサタンの軍隊を惑わし、混乱させ、徹底的にせいばいして、打ちのめすことのできる戦略があります。それは主を賛美して臨在のうちに現われる奇蹟、イエス様の十字架の血潮の溢れ流れる川からその流れを敵軍に見せつけることです。サタンはイエス様の血潮の流れを見ると頭がボーッとしてくるくる回って狂ってしまい判断を完全に誤り、戦略も間違ったまま盲目的に突入してしまい、後は容易に滅ぼされてしまうおろかな存在なのです。イエス様の血潮が流れる所はいつでもどこでも奇蹟が伴ない私たちに勝利の旗がひるがえるのです。ハレルヤ。

 

      過越の小羊

 出エジプト記では、イスラエル人に過越の祭りを定められました。その起源は小羊を十日から十四日までの間、家の中でよく見守り、愛情に満ちた頃、これを殺し、その血をその家の左右の門柱と上の鴨居に塗りつけると、この血がしるしとなって滅ぼすものが自分の家にやって来てもそのまま過ぎ越してしまい、エジプト同様の災いは下らずに守られてエジプトから無事脱出できるという神様の契約です。そしてこれは主の祭りとして祝われる当時の人々だけでなく代々守るべき永遠の掟とされたのです。(出エ一二・一四)。この過越の小羊はイエス・キリストを象徴しております。(Tコリント五・七)。その定められた傷なき一歳の雄の成羊とは、三十才にして公に祭司職の権限に立てる年齢となった成人男性、罪の傷なきイエス様の象徴です。イスラエル人がまず小羊を家の中でしっかり見守り、愛情の満ちた頃ほふるという定め通り、イエス様も同様でした。三年半の公生涯、弟子たちのしっかり見つめる中、イエス様は弟子たちと共に親しく行動され、その御姿は弟子たちにとっていつも新鮮な不思議であり、イエス様の行動一つ一つが注目を集め、イエス様は群衆を魅了する神秘なお方として、まさしくイエス様とは弟子たちにとって注目すべき家にやって来た珍しい小羊のような存在として「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの」(Tヨハネ一・一)であられました。そして、偽りない愛と真実な心のイエス様を弟子たちが次第に理解し始め愛情が深まった頃、神様の小羊イエス様は十字架でほふられたのです。

 今日、考古学者が出エジプト直前の過越しの祭りの日までエジプトのゴシェンの地に住みついていた全てのイスラエル人の家々を発掘調査して共通する不思議な発見をしました。エジプト人の家々にはなかったものですが、すべてのイスラエル人の家々の玄関の敷居の下には熱心に掘られた穴があったのです。この穴の位置は通常ならば絶対に掘らないはずの玄関の敷居の下です。もし、イスラエル人の子供が「お父さん。お母さん。ありがとう。元気でね。行って来まーす。」と言って家を出るならば次の瞬間「わあーっ!」と叫んでそのままストンと穴に落ちてしまう危険でおろかな場所に位置するつまずきの穴です。

調査の結果判明したことは、この穴が掘られた目的はイスラエル人にとって立ち去ってもはや再び住む必要のなくなる家々のものであり、もうエジプトの家々には帰らないよ。という信仰の証しでもあり、最大の掘られた目的は過越しの夜ほふるための小羊が逃げられないよう、この穴に入れ、地の中でほふるために掘られたものだったのです。ほふられた小羊はイエス様を現わします。神様の小羊イエス・キリストも、堅い岩地の岩盤を掘り下げて立てられた十字架、ここで血潮を流してほふられたのです。過越の祭りとはイスラエル人にとっての代々守るべき永遠の掟です。それゆえ神様のイスラエルなる私たちクリスチャンも今日これを祝うべきです。

  今、聖霊様が住まう神殿であるあなたの心の入り口にイエス様の十字架を大きく掲げて祝いましょう。左右の門柱に塗られた血のごとくキリストの左右の御手には、釘打たれた血潮があります。上にあるかもいに塗られたの血のごとくキリストの御頭にはいばらの冠の血潮があります。足下の小羊をほふった穴に満ちた血のごとくキリストの御足には釘打たれた血潮があります。そして心の入り口の扉いっぱいにはイエス様の背中のむち打たれた血潮があります。これをしっかり塗りつけることにより、滅びの御使いは(T歴二一・二五、詩七八・四九)絶対心に入ることはできず、滅びの災いは過越すのです。このように災いと滅びの御使いを過越させるすばらしく力ある小羊イエス様の血潮をあなたの家にも適応して家族の守りのために祈りましょう。職場も学業も全てイエス様の血潮により守られて霊的病の根源サタンに打ち勝って霊的に健全なクリスチャンとして永遠の祝い、礼拝を捧げましょう。

 長年、伝道師をしている私の妻が宣教師として日本に召され来日準備をしている頃、主から多くの導きと啓示がありました。その一つに夢の中で日本の各宗教の指導者たちが一人ずつ集まった群衆が見えたそうです。彼らは口々に相談して言いました。

「今から日本に来るこいつはどれくらい力があるだろうかひとつ見てみよう。」

  夢の中で妻は部屋の中にいましたが、やがてその集団はぞろぞろと家の中にまで入ってきました。彼らは渡り廊下を歩きながら妻のいる部屋の前を通り過ぎる時、次々とのぞき込んで妻を観察しながら隣の部屋に入っていきました。そして隣の部屋に集団が全て集まると互いにそこで作戦会議を開きました。その時、主が妻の霊の耳を開き悪霊どもの相談する会話を全て聞こえるようにされました。そこで聞いていると中でも一番強い力を持つ代表は仲間の弱い一人に向かって命令をくだしました。

「おれたちはイエスの血潮と十字架さえなければ勝つことができるのだ。おまえはあの女の所へ行ってこれだけは絶対語らないように口をつぐむよう頼んでこい。」

  すると命令された一人が、隣の部屋から妻のいる部屋に入ってきました。ところが聖霊様に満たされていた妻は、使徒パウロが魔術師エルマをにらみつけたようにこれをにらみつけたため彼は何も言えなくなってしまいそのまま隣に帰って「だめだ。それは無理なことだ。」と報告しながら仲間の集団と共に逃げ去っていきました。イエス様の十字架の血潮は悪霊どもから私たちを守る勝利の力であり、悪霊どもの最も恐れるものです。高らかに賛美しましょう。夢を見たそのすぐ後のことです。実際に妻の運転する自動車が道路で一時停止をしている所へ巨大なクレーン付きの大型車が突っ込んできました。幸い怪我はなく、つぶされた車は保険で向こうが全て保証して修理しましたが、サタンは日本宣教を妨げようと事前に命までねらって攻撃してきたのです。ペルシャの君、ギリシャの君(ダニエル一〇・二〇)があるように日本地域担当の君なる悪魔があるのです。サタンは人を盗み、殺し、滅ぼす性質を持っています。サタンは元々神様の子供であった人間をエデン以降罪の支配により合法的に神様の御手から盗み、次には罪を熟させることや、病、不慮の事故等により殺し、最後は黄泉で死者の魂を日々苦しめて滅ぼす働きをしているのです。しかしイエス様が来られた目的はサタンの働きを打ち壊し、私たちが命を豊かに得て、全てのことに幸いを得て、健康に過ごすことにあります。霊的病サタンに対する勝利の秘訣イエス様の血潮を堅く握りましょう。