祈祷


         

         早朝祈祷のすすめ

聖書ではたくさんの主のしもべたちが朝毎に祈りを捧げ、その日の勝利を体験しており、朝の祈りはとても重要です。イエス様について マルコ1:35 では

「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」

と証言されており、主の祈りでもマタイ6:11「 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」

祈るようイエス様は言われました。言い換えれば、日ごとの糧についてきょうもよろしくお願いします。

という告白はこれから始まる一日の必要性を朝祈る朝の祈りの重要性が暗黙のうちに説かれています。

一日の終わりの夜になって日ごとの糧をきょうもお与えくださいと祈ってから寝てしまえば、時間的に無理があります。その場合は日ごとの糧を明日もお与えくださいと祈るべきです。

やはり朝の祈りだからこそきょうもよろしくお願いしますと必要を祈り求めます。

初代教会ではこの主の祈りを重視して繰り返し朝毎に告白していました。使徒の働き1:14

「 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」ここで使われた祈りのギリシャ語はあの祈りとも訳せ、古い文書では主の祈りをあの祈りと呼んでいました。実際、使徒たちは朝早くから集まっては朝の礼拝を捧げていました。

(使徒5:21)。旧約のイスラエル史でも荒野の40年間、朝毎に彼らの日ごとの糧が神様から供給されましたが、それは主食のマナと呼ばれる白い霜や、うろこのような細かいコエンドロの種のようで蜜を入れたせんべいのようなものでした。

出エ16:4 「主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。」

出エ16:21「 彼らは、朝ごとに、各自が食べる分だけ、それを集めた。日が熱くなると、それは溶けた。」 

マナは太陽が昇る前の早朝だけ天から降り注ぐ特別な恵みでした。ちょうど朝の祈り会のようです。

私は牧師として毎朝早朝礼拝を導き、自らも祈っておりますが、ある朝このような幻を見ました。たくさんの教会員が教会の赤いじゅうたん上にマナのようにたくさん散らばっている一万円札を各自、

心に拾い集めている光景でした。私もその中の一人として熱心に拾い集めていましたが、幻でした。確かに朝の祈りは霊的に大きな恵みです。朝の祈りがしっかりしているとその日一日が力強く何をしても楽しく栄えます。ダビデ王朝が栄えた背後の秘訣は朝毎の祈りでした。

ダビデは詩篇5:3 「主よ。朝明けに私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。」と朝毎の祈りの生活継続を信仰宣言し、レビ人にも同様の定めを与えました。

第一歴9:27 「彼らは神の宮の回りで夜を過ごした。彼らには任務が課せられており、彼らは朝ごとにかぎをあけた。」

第一歴23:30 「立って朝ごとに主をほめたたえ、賛美し、夕べにも同じようにすること。」ダビデの子ソロモンも神様の知恵の言葉で語りました。

伝11:6 朝のうちにあなたの種を蒔け。」その他、聖書書中早起きの礼拝者は多数います。

アブラハム、ヤコブ、モーセ、ヨシュア、ギデオン、ハンナ、サムエル、ヨブ・・

主は「わたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるため」マナを朝毎イスラエルの全会衆の天幕上、降らせたように今、神のイスラエルなる私達にもチャレンジしています。

「早起きして、祈りなさい。」と最後に現代の著名な主のしもべたちの祈りについての言葉を紹介します。

 マルチンルター:「もし、私が毎朝2時間を祈りに費やさなかったならば、サタンはその日一日私に勝つであろう。

私は実に多くの仕事を持っているので、どうしても毎日3時間を祈りに用いなければ、それをやっていくことができない。」

ウオッチマンニー:「私はまだ一度も、遅く起きる祈りの勇士にお目にかかったことはありません。

遅く起きて主に近いという人も知りません。最小限度にも神様を知っている人は、みな朝早く神様の御前に行きます。」

ママクワング:「彼女は毎朝午前3時から6時半まで祈り、祈りの指導を続けて何百万人も救いへ導き、中国に大きなリバイバルを起こした。」

チョーヨンギ:「私がもし3日間祈らなければ信者全体が、私がおかしいことに気付き、そして祈らずにいるとすべてがゼロになる。日本には祈りを妨げる悪霊が一番働いている。」

E.Mバウンズ:「神様の方法は人である。教会はよりよき方法を探しているが、神様はよりよき人を捜しておられる。

今日、教会が必要としているのはより多くのよりよい機構ではない。新しい組織でも、より多くの珍しい方法でもない。

聖霊様が用いうる人である。祈りの人。力ある祈りの人である。聖霊様は機構の上にではなく、人の上に下るのである。

主は計画を、ではなく人、祈りの人を任命する。」

パクヨンオク:純福音立川教会牧師

「私は純福音教会が1万5千人のときに長老教会から親族もろとも移籍して来ましたが、その後、現在の純福音ヨイド中央教会に教会が建築移転し、70万人にリバイバルするまでの間、純福音ヨイド中央教会の伝道師の立場で聖霊様の働きを見てきましたが、今の日本との大きな違いは祈りです。

当時、今の日本のように韓国でも500人くらい集まる教会が大教会と考えられていましたが、その時代でも韓国のすべての教会には徹夜祈祷会、早朝祈祷会が当然のように根付いておりました。ことに純福音教会にいたっては最初のリバイバル当時は床が木造の建物だったため、会衆みんなで祈る時間は前の人が座るイスをつかみながら激しく泣いて叫んで大声で祈ったので、教会全体が地震が起きたようにガタガタ、ガタガタと騒音がひどい迫力ある状態でした。今のヨイド教会はだいぶ落ち着いていますが、当時はここが教会なのか異端なのか分からないほどの騒音の中、癒しや奇跡がたくさん起きていました。

当時の韓国と比較して今の日本に足りないのは祈りです。絶対、熱く祈らないとリバイバルは来ません。しかし、日本には日本人的な形でのリバイバルが来るでしょう。」

                   断食祈祷のすすめ

ルカ伝 4:1 「さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、 四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。・・・4:14 イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。」                                    イエス様ははじめから御霊に導かれて荒野におられるほど聖霊に満ちた聖なる生活状態でした。しかし、あえて私たちの模範として公生涯の宣教の働きを始められる前に40日間の断食祈祷をされました。断食終了後、イエス様は御霊の力を帯びてガリラヤに帰られました。するとリバイバル宣教がうわさがうわさを呼んで始まりました。病が癒され、悪霊は出て行き、死人もよみがえり天国の福音が広く効果的に解き明かされました。私たちもどんなことでも働きを始める前にはまず、断食祈祷で霊的に整えられて聖霊様の力を帯びるレベルまで信仰が高められ強められることが望ましいものです。使徒の働きでは一度ペンテコステの聖霊様の強い満たしを受けた使徒たちが後に迫害され、弱くなったときもう一度集まって祈ると聖霊様の更なる満たしを受けております。一度聖霊のバプテスマを受けたからといっても十分ではありません。霊的に弱くダウンした状態を感じるならば聖霊様の更なる満たしを求めて祈ることが大切です。生涯何度も何度も聖霊様の更なる満たしを求め続け、マンネリがちな信仰生活がリニューアルされる必要があります。その効果的なリニューアル方法こそ断食祈祷です。断食はつらく命を主の御手にゆだねて祈る大きな霊的戦いですが、その愛の犠牲の度合いの大きさからも主が特別に御心にとめられ奇跡がともなう力ある祈りとなります。断食する人自身が生きた聖なる捧げ物ととらえたらよいでしょう。貴重な断食期間は食を絶つお腹の断食だけでなく、この世のものを一切見ない目の断食、世の言葉を聞かない耳の断食、世のおしゃべりをしない口の断食など誠心誠意を込めて断食に献身し聖書とイエス様だけを見つめることが大切です。断食にも長期間の断食から短期間の断食、一日一食や二食を抜く断食、少しだけ食べる断食などがあります。もし、3日間の断食をするなら途中でやめたくなるような山のピーク前のような苦しみの一番大きいときが来るでしょう。そんなときは「イエスの御名によって食べたいという食欲よ出て行け!」とお腹に命じて誘惑を乗り越えれば残り時間は楽になれます。断食をしていることを忘れられるように聖書朗読やメッセージをたくさん聞いたり賛美するととてもよいでしょう。時には楽に長期間断食できる人も、時には1日さえつらい断食もあります。断食はたとえ半日でも主の力で助けられてはじめて成し遂げられるという謙遜で正しい自覚がいつも必要です。              聖書では祭司エズラの呼びかけで一切食事も水も摂取しない断食があります。エズラ記10:6「エズラは神の宮の前を去って、エルヤシブの子ヨハナンの部屋に行き、パンも食べず、水も飲まずにそこで夜を過ごした。捕囚から帰って来た人々の不信の罪を嘆き悲しんでいたからである。」王妃エステルとシュシャンのユダヤ人の場合も緊急事態のとき命をかけて断食し、その後に偉大な救いの奇跡を体験しています。エステル記4:16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」      また、水だけは飲むけど一切何も食べないという断食もあります。イエス様の40日間はこのタイプだったと思われます。最近では、おのおの信仰に応じてジュースだけ飲む人もいます。                      さらに少しだけ食べるタイプの節食断食も聖書では認めています。高齢だったダニエルは無理せず、ダニエル書10:3で「 満三週間、私は、ごちそうも食べず、肉もぶどう酒も口にせず、また身に油も塗らなかった。」と告白するとおり少年期からの習慣で水と野菜だけで21日間過ごす節食断食をして、21日目には天使ガブリエルに出会い祈り求めたとおりイスラエルの将来に対する偉大な啓示を受けられました。新約時代でもバプテスマのヨハネは荒野でいなごと野蜜だけで過ごす節食断食で霊的に研ぎ澄まされて救い主イエス様の訪れを告知する重要な使命に用いられています。その他にも聖書中、多くの主のしもべたちが断食で戦って祝福を勝ち取っています。                                    私たちの救いは復活されたイエス様を信じるだけで行ないではなく恵みのゆえに信仰で与えられますが、救われた後の生活上の祝福の多くは祈って戦って悪魔から取り返す戦いが必要です。もちろん戦わずして何もしていないのにただで与えられる恵みもたくさんありますが、戦って勝利してこそはじめて勝ち取る種類の祝福もあり、人々の救いや経済的な繁栄や悪霊追放、癒しの力など、この種のものは祈りと断食の力で応戦するものです。救いはただです。しかしその後の祝福はバプテスマのヨハネの日以来、今日まで激しく天国を襲う勢いで祈り求める聖徒が勝ち取っているのも現実です。使徒パウロの告白です。第二コリント6:3 「私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも・・・」ハレルヤ。主の導きを感じたときには無理のない範囲内で自分の信仰に応じて大胆に断食し、食べるときは保護食から復活して後にはしっかりおいしく食べましょう。正しく行なった断食勝利以降しばらくは、力強い主の偉大な奇跡と祝福が必ず続くものです。