クイズ 


 

             エリヤとエリシャ

旧約時代のエリヤとエリシャは新約時代のバプテスマのヨハネとイエス様を象徴的に現わしています。このことについて比較検討しましょう。最後には、なんとクイズもあります。正解者に景品はありませんが。まず旧約のエリヤが新約のバプテスマのヨハネを象徴していることについてマラキ書4:5で「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」と預言しており、ルカ1:17でも御使いがバプテスマのヨハネこそ「エリヤの霊と力で」働くことを預言しています。エリヤとバプテスマのヨハネは荒野を宣教拠点とし服装も同じ預言者スタイルでした。第二列王記1:8「彼らが、「毛衣を着て、腰に皮帯を締めた人でした。」と答えると、アハズヤは、「それはティシュベ人エリヤだ。」と言った。」マルコ1:6 「ヨハネは、ラクダの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。」イエス様もバプテスマのヨハネについてマタイ11:14 「あなたがたが進んで受け入れるなら、実はこの人こそ、きたるべきエリヤなのです。」と仰せられましたので、エリヤがバプテスマのヨハネのモデルであったことは、明らかです。しかしエリヤの次に現われて宣教を受け継いだエリシャがバプテスマのヨハネより6ヶ月遅く生れて宣教を受け継いだイエス様のモデルであったことは意外と知られていません。旧約のエリシャは新約のイエス様を現わしています。

今からはこの関係について比較しましょう。そして最後には神様からの聖書に隠されたクイズがあります。まずは、はじめの奇蹟。

第二列王記2:21 「エリシャは水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言った。「主はこう仰せられる。『わたしはこの水をいやした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』」こうして、水は良くなり、今日に至っている。エリシャが言ったことばのとおりである。」

第一の奇蹟は水が悪くて流産が多かった地域にてエリシャが水の源に塩を投げ込んでいやす奇蹟です。これはエリシャが町の人々に貢献した最初の奉仕としての奇蹟です。水をいやす奇蹟ですが、イエス様においても町の人々に貢献した最初の奉仕は水に対する奇蹟でした。カナの婚礼のさいイエス様は水をぶどう酒に(多分、人々が飲むまで分からなかったから赤でなく白ワイン)に変えるという奇蹟をなさりました。(ヨハネ2:11)

 次に第二列王記2:2324  「エリシャはそこからベテルへ上って行った。彼が道を上って行くと、この町から小さい子どもたちが出て来て、彼をからかって、「上って来い、はげ頭。上って来い、はげ頭。」と言ったので、彼は振り向いて、彼らをにらみ、主の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、彼らのうち、四十二人の子どもをかき裂いた。」律法の強い旧約時代、エリシャがベテルの町に入ると、(おそらくべテル地域の悪霊に影響されたと思われる)小さい子どもたちから迫害されましたが、そこでエリシャは呪う力を発揮しました。一方、恵みの新約時代、イエス様も地域の悪霊と戦われる日常生活の中で、いちじくの木を呪って枯らす奇蹟をなさり、私たちの環境で土地や時間などを無益にふさいで実を結ばないイチジクの木のような体内の病気や職場の不良債権などを信仰で呪って枯らして削除できることを教訓されました。(マタイ21:21)

 第二列王記4:6 「器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません。」と言うと、油は止まった。」ここでエリシャは器に注がれた油が絶えない奇蹟を現わしましたが、イエス様も聖霊様の無限大の油注ぎを受けて奇蹟を現わしました。ヨハネ3:34 「神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。」

 第二列王記4:35 では「それから彼(エリシャ)は降りて、部屋の中をあちら、こちらと歩き回り、また、寝台の上に上がり、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして目を開いた。」死んだ子どもを生き返らす奇蹟です。イエス様もたくさんの死んだ人々を生き返らせました。(ヨハネ11:44、ルカ7:15、マルコ5:42、マタイ27:52)

 第二列王記4:41では 「エリシャは言った。「では、麦粉を持って来なさい。」彼はそれをかまに投げ入れて言った。「これをよそって、この人たちに食べさせなさい。」その時にはもう、かまの中には悪い物はなくなっていた。」エリシャは野生のつる草によって汚されて食べられなくなった毒の鍋物に麦粉を入れて清い食べられる鍋物に変える奇蹟をなさりました。一方、イエス様も食物を感謝していただく時、イエス様の麦粉のように清く繊細な品性に洗われて、すべての食物が清く食用可能となる奇蹟を宣言されました。(マルコ7:19)

 第二列王記4:42-44 「ある人がバアル・シャリシャから来て、神の人に初穂のパンである大麦のパン二十個と、一袋の新穀とを持って来た。神の人は、「この人たちに与えて食べさせなさい。」と命じた。彼の召使は、「これだけで、どうして百人もの人に分けられましょう。」と言った。しかし、エリシャは言った。「この人たちに与えて食べさせなさい。主はこう仰せられる。『彼らは食べて残すだろう。』」そこで、召使が彼らに配ると、彼らは食べた。主のことばのとおり、それはあり余った。」イエス様もわずかのパンと魚を増やして同じ種類の奇跡をなさりました。マタイ16:9-10「まだわからないのですか。覚えていないのですか。五つのパンを五千人に分けてあげて、なお幾かご集めましたか。また、七つのパンを四千人に分けてあげて、なお幾かご集めましたか。」

第二列王記8:12「ハザエルは尋ねた。「あなたさまは、なぜ泣くのですか。」エリシャは答えた。「私は、あなたがイスラエルの人々に害を加えようとしていることを知っているからだ。あなたは、彼らの要塞に火を放ち、その若い男たちを剣で切り殺し、幼子たちを八裂にし、妊婦たちを切り裂くだろう。」

エリシャは泣きながら近い将来、裏切りと殺害行為に走るハザエルに対して直接本人にそうならないよう警告の預言をしましたが、ハザエルは結局自ら知りつつも預言通りに堕落しました。この点でもエリシャとイエス様は一致しています。イエス様はエルサレムの近い将来、イエス様を裏切って十字架という裏切りと殺害行為に走るユダヤ人を知られ、都を眺めながら涙を流して預言され、イスカリオテのユダに対しても直接本人に警告の預言を与えられました。しかし彼らもまた自らの預言を知りつつも堕落しました。

このようにエリシャとイエス様は一致する点が多数ありますが、究極はこれです。

第二列王記3:14-19「エリシャが死の病をわずらっていたときのことである。イスラエルの王ヨアシュは、彼のところに下って行き、彼の上に泣き伏して、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち。」と叫んだ。エリシャが王に、「弓と矢を取りなさい。」と言ったので、彼は弓と矢をエリシャのところに持って行った。彼はイスエルの王に、「弓に手をかけなさい。」と言ったので、彼は手をかけた。すると、エリシャは自分の手を王の手の上にのせて、「東側の窓をあけなさい。」と言ったので、彼がそれをあけると、エリシャはさらに言った。「矢を射なさい。」彼が矢を射ると、エリシャは言った。「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを打ち、これを絶ち滅ぼす。」ついでエリシャは、「矢を取りなさい。」と言った。彼が取ると、エリシャはイスラエルの王に、「それで地面を打ちなさい。」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。」

ではここで最後にここで、大切なクイズです。正解者に景品はありませんが、エリシャが死の病をわずらっていたときに現われたイエス様との共通点は一体どこでしょうか? エリシャが死の病をわずらいながらも目にしたその光景とは・・・。正解はイスラエルの王ヨアシュが手にした弓と矢です。エリシャの命令どおりに王ヨアシュが縦に弓を持ち、横に矢をクロスしたその時、その瞬間なんと十字架になっているではありませんか。当時のエリシャはこの偉大な光景の真意を知らなかったけれど私たちは今、知っています。エリシャはイエス様のモデルだったことを。エリシャがこの十字架を目にした時期は、彼が死の病をわずらっていた生涯最後の時期です。イエス様もこの世を去る最後の時期に目にしたものが同じ十字架だったのです。ハレルヤ。なんという驚異的な一致だったでしょうか。では、十字架があるならば、当然復活もあるはずです。

第二列王記13:20-21こうして、エリシャは死んで葬られた。モアブの略奪隊は、年が改まるたびにこの国に侵入していた。人々が、ひとりの人を葬ろうとしていたちょうどその時、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去って行った。その人がエリシャの骨に触れるや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がった。」ハレルヤ。イエス様に触れられる私たちもやがて復活して天国に入れます。マタイ27:50-53 「そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都にはいって多くの人に現われた。」イエス-キリストはよみがえりであり命です。イエス様を信じる人は幸せです。必ず最後の日によみがえって天国の美しい復活の新しい体をいただけます。