オークション 


 

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 オークションは気軽で比較的安価に商品売買できる便利な制度です。しかし、すべての制度に言えることですが、これらの制度も正しく活用されない限り利用者にむしろ被害をこうむるケースもあります。

ビリーグラハム牧師が結婚の記念に妻への贈り物として指輪を買いにオークション会場に行きました。会場内でセリに賭けられた小さなダイヤの指輪を落札しようとビリーグラハム牧師が入札を開始すると、他の紳士も競って参加しさらに高値で入札してきました。小さなダイヤ獲得のため高値更新の入札競争がこの紳士との間繰り返され、最終的にはビリーグラハム牧師が入札した最高額でついに落札されました。こうしてオークション会場を後にしたビリーグラハム牧師でしたが、その後、手にしたダイヤの価値がはたしてどれほどのものであるのか気にかかり、質屋で鑑定してもらいました。結果は落札額にははるかに及ばない価値の無い指輪であり、さらにはオークション会場でセリあったあの紳士も桜としての高値更新を誘う当初から雇われていた詐欺師であったことがわかったそうです。気の毒で心の痛む話です。

第二テモテ3:13では「悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。」と書かれています。

 最近も国内市場に出回っている中古車の7割もが2〜3割、走行距離表示メーターを巻き戻しているという報告や抜き打ちで調べたガソリンスタンドの3割がメーター表示にあやまりがあったなどニュースをききますが、それは氷山の一角でこの世の不正に関してたたけば紙面が足りません。

「まだ、悪者の家には、不正の財宝と、のろわれた升目不足の枡があるではないか。不正なはかりと、欺きの重り石の袋を使っている者を罪なしとすることが私にできようか。」(ミカ書6:10、11)いつも全知全能の神様を恐れて誠実で正しい心を持って取引することが価値ある義人の生き方です。この世の闇に隠れた不正に対して、やがて来る光と正義と愛に満ちた後の世では必ず正確な最後の微調整があります。

 また、現行の入札制度ではうまく売り手と買い手の条件が合えば双方が得できる合理的な有益性がある反面、容易に詐欺師も参加できるというリスクもあることを忘れてはいけません。

イスカリオテのユダはイエス様を裏切って祭司長たちに引き渡すとき、悪のオークション会場を即設しました。

「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。」(マタイ26:15)

この卑劣な行為は事前にエレミヤによって預言されていた出来事の成就でした。「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの人々に値積もりされた人の値段である。」

悪人ユダは万物を造られた偉大な創造者である神イエス様の価値をこの世のお金で換算し、当時奴隷を一人買い取る程度の価格相場の銀貨三十枚、日本円で120万円ほどで値積もりオークションしてしまったのです。なんという侮辱と裏切り行為でしょうか。当時イスラエルの人々に値積もりされた銀貨三十枚の背後には通常の購買意欲から生じる所有欲ではなく、ギャンブル的に加熱し高欲した祭司長たちのイエス様に対する激しいねたみや憎悪の感情がうごめいていました。そのため額面上の価格ではなく、いかにして恥辱になる対価を定めたか、価格自体に悪意とイエス軽視の思想があふれていました。

 かつてベタニアのマリアはこの同じイエス様にあふれる感謝と献身的な犠牲愛をもって石膏の壺を壊してナルドの香油300万円分すべてを注ぎかけましたが、見る人の価値観によってはイエス様はプレミア中のプレミアであり、実に命さえ捧げても惜しくない神様の一人御そのものであり、永遠の命を与える救い主です。

 最近、オーストラリアの骨董市場で英国人男性が約4000円で購入した古びたスーツケースが世界中の注目を集めました。購入後、男性が中をあけてみると膨大な量のビートルズの生写真やレコード、非公開の演奏テープなど、約400点にのぼるコレクションが入っていました。古物市の関係者たちも「まさか、ビートルズの品々だったとは」と驚きつつ、購入した男性も「本当にびっくりしましたよ。」とコメント。実に古物商人には4000円の価値にしか見えなかったスーツケースがその中身のゆえにビートルズマニアのコレクターによると数億円相当の価値で取引できるプレミア商品とのことでした。

 私たちの普段手にする古びた一冊の聖書。イエス様を救い主と信じる信仰。実は、これこそ正しく鑑定され、真理を悟るならば永遠につながる最も価値ある驚くばかりの恵みなのです。

私たちはオークション文化に慣れ親しんだ時代の中で正しく本当に価値あるものの真価を見極められる本物の目を養い持つべきです。

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(コリント第一1:18)