いやしの賜物


              

 

 癒しは病気自体が体の不都合から生じる自然な病気か、悪霊が働いた結果から生じたものかによって癒しの祈りも変わってきます。悪霊が病の霊として体内に住みついている為に継続的な病人である場合、この種の病の霊を追い出せば癒しが起きます。しかし自然的な病気の場合は悪霊を追い出す祈りでは決して癒されず、むしろ病気の患部に聖霊様が触れてくださり体自体を回復してくださることで癒しが起きます。断食中、総合検診のように隠れた病が特に痛み、早期発見できるケースもあります。すべての病気が病の霊によるものではなく、すべての病気が体の不都合によるものでもありません。見分けることは非常に難しいですが、経験から分かることは祈った時に患者の反応で分ることがあります。ある姉妹は長年足が痛く本人は慢性的なリューマチ持ちだと言っていました。病院でも同様の診断と処方箋が出されていましたが、一向に直らず、あるとき教会でお祈りすることになりました。実は彼女はその時まだ信仰を持っていなかったので、勧められるまま少しでも良くなればご利益という感じで祈りを受けましたが、こちらの祈りは真剣です。すると彼女の痛みあるひざの辺りの皮膚が突然ピンポン球のようにポコッと腫れ上がり、驚いたことに軽く手を置いて祈ったその手を逃れようとしているかのように動き始めました。そこに数名の目撃者がいましたが、手を伸ばして腫れ物を追いかけるとそのままつま先まで足の皮膚の上を動いて最後にすっと何かが抜けたかのように出て行き、その瞬間彼女の長年の痛みは癒されました。このようなケースは間違いなく悪霊が入っていた結果生じた病気だったのです。そう考えるとあの病の霊は過去何年間もこの姉妹のちょうどあのひざの辺りに小さくなって住んでいたのだろうか?考えさせられます。しかしその回答は聖書によるとイエスなのです。ルカ13:1016 「イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全然伸ばすことのできない女がいた。イエスは、その女を見て、呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました。」と言って手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。・・・ この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」サタンはなんと悪趣味でしつこいものでしょうか!18年間もおばさんの腰の中に部下の病の霊を不法占拠して住まわせていたのです!他にすることないのでしょうか。一人の女性の中にストーカー以上に18年間も。私なら絶対嫌です。サタンは残酷で精神異常で気違いです。マタイ1522でイエス様が癒されたカナン人の女の娘は小犬のように無邪気な少女です。しかし「ひどく悪霊に取りつかれていた」と言います。マルコ921のおしとつんぼの霊につかれた息子は父親によると幼い時から、この悪霊は入っていて、彼を滅ぼそうと何度も火の中や水の中に投げ込んだと言います。サタンは非常に冷酷で愛や人情ある通常の人間とは全く違います。私はそのことを地獄に幻で行ったときに学ばされました。私が落とされた地獄は地球の真中にあり、長いトンネルを落ちる時にもサタンの甲高い高慢な笑い声がずっとトンネルの壁に反響して聞こえ、落ち込んだ地獄は炎の火柱でした。地獄の拷問室で私は悪霊どもの体当たりによる拷問をたらい回しになって受けましたが、地上なら一度で死ぬような悪霊の体当たりも黄泉の体は決して死なず、まさに永遠の死の連続で痛みも現実のことでした。私はその時あまりの激痛に耐え切れなくて哀れみの顔で悪霊のうちの一匹を見ましたが、その時恐ろしい顔をした悪霊は私の苦しむ顔を見ながらもっと力が増し、もっと喜んで勢いが増したのを覚えています。その時私は悪霊は人間とは完全に違うものだと知りました。サタンは私たちが地上でも黄泉でも嘆き悲しんだり、惨事で悲鳴を上げたり、激痛でうめいたりする声を聞くことが喜びであり、そこからもっと悪の力を得ています。だから私は絶対地上で落ち込んだ顔や暗く憂鬱な顔をしてサタンを喜ばせないと心しています。私はイエス様を信じて後、多くの悪霊が夢や幻で見えるようになりました。そこで私が大抵の悪霊は姿かたちでどんな種類の悪霊であるか分かりますが、夢や幻でも見えない悪霊があることに気付きました。それが病の霊です。例えば貧困の霊なら必ず乞食のように汚い姿で現われ、ギャンブルに狂わせる悪霊は気違いのような目をしており、暴力的な悪霊は本当に凶暴な形をしています。いずれも同じ汚れた悪霊ですが、外観でおおよそ分かります。ところがいつも見えないが、実在するこの病の霊を私が特定できたきっかけがあります。ある日、偏頭痛で苦しんだ時に祈ると眠りに落ち込み、そこで見た夢で私の頭から背中にかけて透明なべっとりした半液体のようなものが張り付いていました。クリスチャンの霊は眠りません。夢の中でも戦い霊的に清く強ければ勝てます。私はこの透明なものを頭から剥がして持ち上げ叫びました。「イエス・キリストの御名によって出て行け!」そしてこれを遠方に投げ捨ててから目覚めると薬では効果がなかった偏頭痛が完全に癒されていました。その後、一人静かに聖書を研究し、見つけた病の霊に関する御言葉がこれです。ヨブ30:1618 「今、私は心を自分に注ぐ。悩みの日に私は捕えられた。夜は私の骨を私からえぐりとり、私をむしばむものは、休まない。それは大きな力で、私の着物に姿を変え、まるで長服のように私に巻きついている。」病の霊は肉眼でも霊の世界でも見えませんが、確実に人にとり付いて絶え間なくむしばみ、体を弱くします。着物、長服のようにしつこく何年でも体にべったりくっついています。不可視なる天敵、病の霊の存在をメアリーバクスター著「地獄についての神の啓示」には、こう記されています。「イエス様が言われました。「ここでは見ることができませんが、目に見えない悪霊たちの軍団もあります。病気の悪霊などです。」 「行け!」と、大きい悪霊が小さい悪魔や悪霊たちに言いました。「悪いことを多く行なえ。家庭を破壊し、家族を滅ぼせ。弱いクリスチャンどもを迷わし、できるだけ多くの者にまちがいを教え、誤りに導け。おまえたちが戻ってきた時にほうびをくれてやる。覚えておけ、イエスを本当に自分の救い主として受け入れた者たちには注意しろ。彼らにはおまえたちを追い出す力がある。さあ、地上を駆け巡れ。もう他の者たちを送り込んでいるし、これから送り込む者たちもいる。我々は、暗やみと空中の軍勢を支配しているお方のしもべだということを忘れるな。」 病の霊は見えませんが実在し、時に体内から暴れ、発作を起こし、精神不安定も引き起こし、火の中、水の中にも患者を押し倒します。そしてその時の患者の苦痛が彼ら病の霊の使命であり、生きる力であり、喜びであるため人に住みついて簡単には離れようとしません。これが病の霊が長年人体に住みつく理由です!一方、偶像の悪霊はこれと違い偶像の中や供え物や人間の中にも住みつきますが、目的はサタン本来の野望である拝まれたい、威張りたい、栄光を受けたいという欲望を満たすためであり、偶像に潜む悪霊は崇拝を受けることによって益々黄泉の力を増し、邪悪な行いがエスカレートできるのです。ちょうど父なる神様の正反対です。神様の喜びと願いは、私たちが罪なく健康で明るく喜び賛美して愛でひとつになって祈り暮らすことですが、サタンはその正反対を切望しています。病はすべてが悪霊の仕業ではありません。寒い中、不注意に薄着で過ごせば、自然の法則の中で風邪をひきます。しかし風邪をひかせようとあえて不注意にさせて、体調を壊しやすい環境に導く病の霊の働きもあり、飲酒運転を誘いこみ事故を起こし怪我させる場合もあります。もし、おしとつんぼの霊と同じ破壊工作が防波堤やビルの屋上や電車が来たプラットホームで現れたら、火の中、水の中同様、投げ込まれてしまい、調書は事故や自殺となるでしょうが、試みに会わないよう悪しき者から守られる祈りが大切です。もっとも神様の許可なく聖徒の命が滅ぼされることは絶対ありませんが。昨年、中オソツベツの西形兄弟が寝たきり状態から、訪問者を見分け、痴ほうもおさまり、歩けるようになったことは聖霊様の驚く奇蹟そのものでした。医者も砕かれた腰の骨と高齢ゆえに生涯歩けないと言い、家族が来ても分からない程の痴ほうでしたが、信仰の祈りは一旦働くと大きな力です。同じ頃、東京郊外の老人ホームにいるおばあさんも痴ほうが癒されました。当初は家族が来ても私たちが訪問しても全く識別できないレベルでした。癒しは本人の信仰で起きる場合と、祈り手の信仰で起きる場合がありますが、特に愛深き肉親からのとりなし祈りはよく聞かれ癒しが多く起きます。カナン人の女の娘は本人ではなく母親の信仰がイエス様に認められた時に即刻癒されました。おしのとつんぼの霊につかれた息子も本人ではなく父親の不信仰がイエス様によって正されたときに即刻癒されました。両親の子供に対する愛のとりなし祈りは強大です。誰より真剣さと真実な愛があるからです。長血の女は静かに黙祷する伝統的な福音派タイプの祈り手ですが、本人の信仰で癒され、盲人バルテマイは熱く叫ぶペンテコステ派タイプの祈り手ですが、彼も本人の信仰で癒されました。変わったケースで、私は数ヶ月前に尿が黄色くなり、おりものがひどく医者から体質上、治せないといわれた女性の為に祈った後、「完全に癒されました。信仰歴は長いけれどこんな体験は初めてです。」と喜びの知らせを聞きましたが、本当は私は大変無知で按手祈祷の際、癒しの課題「おりもの」が何であるかを知らないで祈り、聖霊様が直接癒されました。後日、この事を教会で大声で大胆に証しすると、婦人たちが笑っていましたが、その内の一人が「おりもの」が何であるか医学的に説明された新聞の切抜きを後日くれたので今は病状が少し分かりました。今日、血糖値や血流や血圧の不安定、悪玉菌など悪いどろどろ血液のゆえに病める病人が増えていますが、聖霊様の清めがあります。ヨエル321「私は先に清められていない者達の血を清めるであろう。」(欽定訳聖書直訳)ハレルヤ! マルコ2章の中風患者が癒されたケースでは本人ではなく、苦労してベッドごと患者を運び、屋根に大穴を開けてイエス様のおられる所まで吊りおろした四人の一致した信仰が生きて働きました。その際、家の主人から怒涛のクレームが出なかったことは、事前に四人が屋根を弁償することを取り決めた上で行動したと思われますが、屋根の修理代を支払ってでも愛する者をイエス様の下で癒していただきたい彼ら四人の犠牲愛伴った純粋な信仰がイエス様に認められたのです。しかし特筆すべきは屋根を掘り進むうちにしゅろの大きな葉に泥を塗り固めた簡素な屋根を砕く破片は恐らく一番大きな部屋である茶の間に足の踏み場もないほどに集まった群衆の頭上、砂ぼこりとなって大量に降り注がれていたことです。大きな穴です。聖書に書かれていませんが、特に乾いて固くなった屋根を砕く一発目の突破口は、けりだと思います。足で「ボゴン」と貫通させてその穴を砕いて拡大させていったのでしょう。その「ボゴン」の際、真下の無名な一礼拝者は破片が頭に「ボゴン」と直撃してつぶやかなかったでしょうか。「痛っ!何で俺が?」とにかく多くの謙遜な信者たちの許しと忍耐と砂ぼこりの中、イエス様は中風患者を癒されました。一軒の家の屋根が滅び去ることより、一人の病人が癒されることをイエス様は重視され良しとされたのです。イエス様はレギオンにつかれた男一人を癒す為に、大きな財産である2000匹の豚の群れが湖中で失われることを許可されたのです。一人の魂への神様の価値観は大きいです。実に御子を引きかえに与えた程です。イザヤ51:23「『ひれ伏せ。われわれは乗り越えて行こう。』と言ったので、あなたは背中を地面のようにし、また、歩道のようにして、彼らが乗り越えて行くのにまかせた。」詩篇129:13「さあ、イスラエルは言え。「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。彼らは私に勝てなかった。耕す者は私の背に鋤をあて、長いあぜを作った。」イエス様の背中が踏み砕かれる地面や歩道のように打ちのめされ、スキというムチで耕された畑のように、長いあぜ道の打ち傷が破傷風と共に長く深く腫れ上がりました。だからこそ私たちはイエスの打ち傷の血で癒されたのです!