異言を解き明かす力 ― 


               

 「世界にはおそらく非常に多くの種類のことばがあるでしょうが、意味のないことばなど一つもありません。それで、もし私がそのことばの意味を知らないなら、私はそれを話す人にとって異国人であり、それを話す人も私にとって異国人です。あなたがたのばあいも同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。こういうわけですから、異言を語る者は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。」

(コリント第一 十四章十〜十三節)

神の霊の宿っているヨセフ(創世記四十一章三十八節)が、パロ王の夢の意味を解き明かしたように、異言の祈りも聖霊様が宿る時、意味を解き明かすことが出来ます。世界にはおそらく非常に多くの種類のことばがあるでしょうが、意味のないことばなど一つもありません。「異言」の祈りにも意味があります。解き明かす賜物の人は通訳者と同じです。他人や自分の異言を冷静に聞いて、その意味を知性の言葉で説明できる能力です。異言は愛を持って謙遜に祈ることが大切で、「人の異言」と「御使いの異言」の二種類があります。

「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。」(コリント第一 十三章一節)

人の異言とは一般的な外国語です。ペンテコステの日、百二十人の弟子たちは聖霊様を受けるや否や学んだことのない外国語で自由に福音を伝えました。この能力は今も外国語を学ぶすべてのクリスチャンに現れます。その場合の多くは、まだ語学が十分でないときにも一般的な会話はあまりうまく出来なくても、聖書の話になるとなぜかよく聞こえ、また語れるという賜物です。さらにこれらの人は語学習得も非常に早いです。

 

一方、「御使いの異言」もあります。自分では祈っている言葉の意味が解らないけれど、すらすら出てくる特殊な祈りです。使徒パウロがコリント教会に

「異言を語る者は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。」

こう命じているのは、この「御使いの異言」についてです。解き明かす手段も異言を聞いた後、知性の言葉ではっきりこの祈りはこういう意味です。と語る解き明かしもあれば、夢や幻を通じて意味を示される手段もあります。前者の場合は心の思いを通じて来るのが大半ですが、直接の実際の知性の言葉で現れる場合もあります。

 

私は以前、ある兄弟と地下鉄のホーム出入り口でトラクト配りに出かけた際、まずは車内で一緒に異言でとりなし祈りました。その際、私の異言の祈りが突然、ある人の名前を繰り返し呼ぶ祈りに変わりました。なぜこの人の名前が繰り返し私の唇から出るのか不思議に思いながら、祈りが終わり兄弟と共に伝道目的で地下鉄ホーム出入り口に立ちました。すると五分ほどすると先ほど私の口から名前が繰り返し出ていたその人の父親が車でそこにやってきました。話を聞くと迎えに来たのだと言っていましたが、私はこの息子の安全のために祈らされたのか?あるいはこのような霊的な不思議な世界にもっと目が開かれるよう聖霊様が体験学習を与えられたのだと思いました。

 

「兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。もし異言を話すのならば、ふたりか、多くても三人で順番に話すべきで、ひとりは解き明かしをしなさい。」 (コリント第一 十四章二十六〜二十七節)

 

ある時、夜の祈り会でこの御言葉に基づいて、皆で異言で熱く祈った後、全く静まって異言の解き明かしを求めて祈りました。私は当時まだ救われて間もない頃で、一人の祈り手として黙って座っていましたが、先輩の祈りの導き手の兄弟が導くままにこう言いました。

「誰か異言の解き明かしが賜物としてくだった方いませんか?心に示される方はぜひ大胆に証ししてください。」

さらに十分間ほどの真剣な沈黙が続きました。すると一人の姉妹が、目を開けて謙遜にゆっくり語り始め、皆が注目しました。

「あの。今、私は幻をずっと見ていたのですが、話してもいいでしょうか?」

「ぜひ、どんなことでも示されたことがあれば、証ししてください。」

「実は、綺麗な川を見ていました。とっても綺麗な流れで、その流れの中にはとても綺麗な魚がたくさん泳いでいました。…しかし、もう一つの川も流れていました。それはとても汚い真っ黒な、どぶ川でその中には何か汚い魚が泳いでいました。」

そこまで話すと姉妹は何かこれ以上は話すべきか否か悩んでいるようでしたが、決意してすまなそうに話を続けました。

「そして、申し訳ないのですが、そのどぶ川の中に入っている人がいました。」

祈りの導き手の兄弟が興味深く質問しました。

「それはどんな人ですか?」

「はい。それは泉兄弟です。それともう一人いるようですが、よく分かりません。」

これを聞いて私は内心「ドッカーン!何で私が?」と思いましたが、考えるとすぐにその意味がわかり、これは確かに聖霊様による異言の解き明かしの啓示であると確信するに至りました。というのはちょうどその日のことでした。いつものように私は教会内で暇をもてあそんでいた兄弟を連れて街に出て行き、空いた時間を生かして路傍伝道していました。ある街角に来るとアンケート用紙を手に持つ調査員のふりをした統一原理教の信者である若者が彼らの勧誘活動をしていました。そこで私は熱心に彼らに救い主イエス様を宣べ伝えましたが、一向に救われません。そこで言葉の限りを尽くして伝えたのに変化がないので、この異端者である青年がとてもかわいそうに思い、その場で思いっきり抱きしめて逃げられない状態で一方的に熱く涙でお祈りしてあげました。数分の熱い祈りの後、私が目を開けて両手を開いて開放してあげると目の前の青年は相変わらず冷静で変化なく、救われていませんでした。そこで私は失望と落胆を胸にこらえて疲れきって教会に帰りました。

この夜の祈り会での異言の解き明かしは、私にとって革命的なメッセージでした。その意味は異端者への集中伝道は私には御心でなかったのに、熱心あまってあまりに多くの異端者たちに関わっていた自分に気付かされました。それ以降、いままで異端者伝道にかけていた時間と労力を一般の特別宗教を持たない人たちに移行しました。するともっと簡単に人々が教会に導かれるようになり伝道の本調子が戻りました。なるほど異言の解き明かしは重要な賜物であるとここに教訓を得ました。

 

「私は、見張り所に立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう。主は私に答えて言われた。幻を書きしるせ。これを読む者が急使として走るために、板の上にはっきり書きしるせ。」

(ハバクク二章一節〜二節)

預言者ハバククは一方的に祈っただけでなく、祈りの答えをしっかり待ち望みました。異言の祈りができる方は祈った後、その解き明かしも求めてください。もしや聖霊様からの語りかけがすでにそこに準備されているかもしれませんから。

異言を話すことを禁じてはいけません。異言の祈りは聖霊様の力強い注ぎを解き放つからです。長時間祈られる著名な牧師たちの多くの祈りは異言です。知性ではどうしても一時間位しか祈れませんが、異言を用いればさらに長く深く祈れます。そこに解き明かしも加えて求めれば、もっと聖霊様に満たされた時を過せます。

「私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。」

(コリント第一 十四章十八〜十九節)

使徒パウロは史上最大の伝道者ですが、その秘訣は異言祈祷であり、彼は誰よりも多くの異言を話すことを神様に感謝していました。しかし、教会ではさらに役立つ知性を用いた「五つのことば」があるといいます。それは、イエス様を信じると、

第一のことばは「新生の福音」です。罪赦され生まれ変わった神様の子供になれます。

第二のことばは「聖霊様の福音」です。助け主なる聖霊様に支えられた誘惑と悪魔に打ち勝つ清い生き方が出来ます。

第三のことばは「癒しの福音」です。イエス様の打たれた打ち傷で霊・魂・肉の病が癒されます。

第四のことばは「祝福の福音」です。呪いから解放された物質的にも豊かな人生が与えられます。

第五のことばは「再臨の福音」です。やがて来られるイエス様の空中再臨の時、一挙に空中に引き上げられながら天国の新しい復活の体をいただき、永遠の天国にも入れます。アーメン。

使徒パウロは教会では指導する場所、という意識の中で福音のすべてを語り、隠れたところでは多くの異言の祈りに長い時を費やしたようです。

「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」

(ヘブル五章七節)