「霊の世界の不思議な法則」


               

この世界には目に見える現実の努力結果だけでなく、時に不可視で予想外の不可抗力(人間の力ではどうにもさからうことのできない力や事態、天変地異など)もあります。イスラエルとアマレクの戦争時、丘の頂でとりなすモーセの祈りは勝敗を絶大に決定づけました。

「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。」(出17:11)

 

また、テモテが持っていた純粋な信仰も親子三代のクリスチャンホームゆえに与えられた天然系の祝福で、親から子へ流れた霊的影響力の賜物です。

「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」(第二テモテ1:5)

これらはモーセや祖母ロイスゆえのクリスチャンによる他者への祝福のきずなですが、反対に歓迎できない否定的な黄泉と滅びの不可抗力も環境に働くことがあります。

逃げる雀のように、飛び去るつばめのように、いわれのないのろいはやって来ない。」(箴言26:2)

鳥が驚けば、当然逃げ去るように、呪いも原因があるからこそ、環境に災いという形で現れます。この場合、災いを招いた呪いのきずなを早期発見して取り除くことが大切な解決策です。起きた問題の背景に呪いのきずながあるならば、罪悪は悔い改め、恐れを締め出し、偶像は破棄したうえで断固としてその霊的影響力を断ち切らなければなりません。イエス・キリストは罪の赦しだけでなく私たちの環境に働く呪いの問題をも解決する為に十字架に掛かられたのです。その血潮の功績を無駄にせず、呪いを積極的に追放すべきです。

「ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」(第一ペテロ1:18,19)

ここに「先祖から伝わったむなしい生き方」とありますが、親子代々、同じ失敗や不幸など同じ種類の災いを家系に感じるならば、イエスの血潮によって家系に働く呪いのきずなを断ち切らなければなりません。

親も子もひどい酒飲み、親も子もばくち打ち、親も子も不品行、親も子も破産、離婚、暴力、窃盗…。

聖書では、アブラハムはその妻サラを対人関係の不要な恐れから妹と偽って、エジプトに寄留していましたが、やがて妻はアビメレク王に取り去られ、後日その偽りが暴露し、大失態と恥のうちにエジプトを追放されました。(創20:11)

ところがその息子イサクも成人以降、父アブラハムと全く同じ偽りを語り、全く同じように妻を取り去られ、その後も同じく暴露し、エジプトから失脚しています。(創26:9) 彼ら親子は決して事前の申し合わせがなかったにも関わらず同じような行動と失敗を体験しています!DNAによる遺伝体質等を超越したそれ以上に強く環境に働いた霊的な呪いの力の結末です。確かに家系に働く呪いがあります。

もっとこのことを端的にかつ摩訶不思議に現わした家系はヤコブ家です。ヤコブは先のイサクの息子で、その名の通りペテン師のようにずるい性格から父をだまし、兄をも出し抜いて長子の権利を獲得した男です。ところが、その一連の不正行為の際、自らと子孫たちに呪いを招いたことが分かる確かな物的証拠が含まれていました。この話は「恐怖!衣類にまつわる呪いの物語」です。

「それからリベカは、家の中で自分の手もとにあった兄エサウの晴れ着を取って来て、それを弟ヤコブに着せてやり、また、子やぎの毛皮を、彼の手と首のなめらかなところにかぶせてやった。」(創27:15,16)

高齢で視力が衰えてよく見えなくなった父イサクをだまして、長子の権利を横取りしようとした弟ヤコブは兄エサウに成りすまして、兄の晴れ着と子やぎの毛皮を使って見事に偽装工作しました。年齢と共に視覚と聴覚は鈍っても臭覚と感覚は、さほど鈍りません。父イサクは自らの臭覚と感覚に頼って見事にだまされました。

「ヤコブが父イサクに近寄ると、イサクは彼にさわり、そして言った。「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ。」ヤコブの手が、兄エサウの手のように毛深かったので、イサクには見分けがつかなかった。・・・イサクは、ヤコブの着物のかおりをかぎ、彼を祝福して言った。「ああ、わが子のかおり。主が祝福された野のかおりのようだ。・・・」(創27:22−27)

ヤコブはまんまと長子の権利を受けるただ一度の按手の祈りをだましとり、将来、父の相続財産の三分の二が長子ゆえ約束されたかのように思われましたが、罪の行為は割に合わず呪いがつき物です。その後のヤコブ家には衣類に関する災いが連発し、ヤコブ自身、行なったとおりに行ない返される羽目となりました。

ヤコブは兄から憎まれたことを知り、その後、おじのラバンの家で逃亡生活が始まりましたが、与えられた仕事は羊飼いです。この段階では誰もが気付かない軽レベルですが、実に羊の毛を刈り、後にそれは加工された衣類になるということから、これも一種の衣類に関する呪いの始まり、題すれば「衣類のために仕えるヤコブ」です。おじのラバンも幾度も報酬を変え、ペテン師はだましたり、だまされたりしながら20年が飛び去りました。その呪いは「親族にだまされるヤコブ」です。やがて二つの宿営を持つ富豪として郷里に帰ったヤコブは今や12人の子供たちに恵まれ、老後を安泰に向かえると思えたそのときです!逃亡生活20年+子供たちの成人約20年、合計約30−40年という時を超越した過去の呪いが今ついに復活稼動しました。

「彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎをほふって、その血に、その長服を浸した。そして、そのそでつきの長服を父のところに持って行き、彼らは、「これを私たちが見つけました。どうか、あなたの子の長服であるかどうか、お調べになってください。」と言った。父は、それを調べて、言った。「これはわが子の長服だ。悪い獣にやられたのだ。ヨセフはかみ裂かれたのだ。」ヤコブは自分の着物を引き裂き、荒布を腰にまとい、幾日もの間、その子のために泣き悲しんだ。彼の息子、娘たちがみな、来て、父を慰めたが、彼は慰められることを拒み、「私は、泣き悲しみながら、よみにいるわが子のところに下って行きたい。」と言った。こうして父は、その子のために泣いた。」(創37:31−35)

ヤコブは子どもたちから見事にだまされました。本当は生きている末の子ヨセフが死んだかのように偽装工作する為の長服、実にこの長服こそヨセフにだけ着せてあげた父の偏愛の象徴衣類ゆえ、他の11人の兄たちのねたみの原因、さらにはヨセフの死を無言に語る確かな血に染む物的証拠でした。ヤコブは昔、父と兄という家族を衣類でだましたけれど、自分が父になった今、同じように子供たちという家族から同じく衣類でだまされたのです!しかも長袖部分という場所まで驚異的に一致しています。

そのころのことですが、創世記38章ではヤコブの子供の一人ユダも家族である嫁のタマルからだまされています。その理由も彼女がやもめの服を脱ぎ、ベールをかぶって遊女のなりに着替えていたので判別できなかったことによります。ヤコブ家の衣類に関わる呪いはまだ続きます。

ヤコブ家の呪いはなんと国が離れていても同一家系内で猛威を振るいます。エジプトのポティファルのもとに売り飛ばされたヨセフ。彼は生きてはいたけれど死の連続のような獄中生活。そのきっかけも衣類関与です。

「ある日のこと、彼が仕事をしようとして家にはいると、家の中には、家の者どもがひとりもそこにいなかった。それで彼女はヨセフの上着をつかんで、「私と寝ておくれ。」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に残し、逃げて外へ出た。

彼が上着を彼女の手に残して外へ逃げたのを見ると、彼女は、その家の者どもを呼び寄せ、彼らにこう言った。「ご覧。主人は私たちをもてあそぶためにヘブル人を私たちのところに連れ込んだのです。あの男が私と寝ようとしてはいって来たので、私は大声をあげたのです。私が声をあげて叫んだのを聞いて、あの男は私のそばに自分の上着を残し、逃げて外へ出て行きました。」彼女は、主人が家に帰って来るまで、その上着を自分のそばに置いていた。」(創39:11−16)

こうしてヨセフはしばしの年月を獄中で囚人服にまかれたことでしょう。

時は流れ、やがて濡れ衣も囚人服も取り去られ、国務総理に昇進したヨセフとエジプトの穀物を買いに集まった兄弟たち。彼らが当初、通訳越しに語る国務総理ヨセフを末の弟と判別できなかったこともまた王権ある衣類をまとったその雄姿のゆえだったでしょう。ヨセフは見事に家系に働く呪いのきずなと信仰で戦って勝利し王服を身にまといましたが、もしそうでなかったらならば、私が思うに、ヨセフはおそらく小さな衣料品販売店か何かを開業して失敗し、倒産以降、土くれの山のように流行遅れの衣類の在庫を抱えて狭くなった室内に一人わびしく座っていたのではないでしょうか。

父ヤコブから始まった衣類関連の呪いが世代と国境を超えても同一家系内に生きて働いていた!この現実に目を覚まし、私たちはイエス・キリストの御名と血潮で家系の呪いと戦わなければなりません。特に誤って呪いを自らと家系に招く発言や行動は絶対自粛です。創世記27:13では母リベカが迷う息子ヤコブを大胆に勇気付け、兄の長子の権利をだましとるよう勧めていましたが、その際リベカが語った言葉はその後の彼女の人生で見事に成就しています。

「母は彼に言った。「わが子よ。あなたののろいは私が受けます。ただ私の言うことをよく聞いて、行って取って来なさい。」(創27:13)

その後、舌の根も乾かない同じ創世記27章で彼女は夫にこう告白しています。

「リベカはイサクに言った。「私はヘテ人の娘たちのことで、生きているのがいやになりました。もしヤコブが、この地の娘たちで、このようなヘテ人の娘たちのうちから妻をめとったなら、私は何のために生きることになるのでしょう。」(創27:46)

リベカが引き受けた呪いは本人には予想外の対人関係のもつれ、特に嫁姑の確執問題で死ぬほど辛いという形で現れています。呪いとは罪人にとってこのようにかく身近な家庭的領域のことで極めて現実的です。誤って呪いを招く行動や発言をしてはいけません。人の呪いを「私に任せなさい!」と引き受けてもいけません。とても負えませんから。イエス様を十字架にかけた全ユダヤ人の発言も同様でした。

「すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。」(マタイ27:25,26)AD70年ローマ軍によるイスラエル総攻撃。陥落する炎の城内から捕虜となって連行された不幸な彼らこそ約40年前イエス様を十字架にかけた罪人たちの子どもたちでした。さらには近代ではアウシュビッツ収容所におけるユダヤ人大迫害、将来は黙示録7章のユダヤ人12部族の殉教。子どもたちの為にも誤った発言と行動で呪いに関与してはいけません。

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」(ガラテヤ6:7,8) 蒔いた種の種類に応じて収穫を刈り取るように、人は必ず行ったとおりに自分にも行なわれる霊の世界の法則があります。他人に良いことをすれば、やがて良いことが返り、悪いことも同様に返ります。ヤコブが衣類で家族(父と兄)をだましたので、後に自分も衣類で家族(子供たち)からだまされたのです!

「主の日はすべての国々の上に近づいている。あなたがしたように、あなたにもされる。あなたの報いは、あなたの頭上に返る。」(オバデヤ1:15)

弟子のペテロは三度、イエス様を裏切って主の御心をひどく傷つけましたが、後にこの体験も同様に返っています。

「イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」(ヨハネ21:17)

これは自らの偽りゆえに傷つき汚れたペテロの心を癒す上で必要な愛のワンステップでしたが、ペテロにとっては心の痛み伴う治療体験でした。

「あなたがしたように、あなたにもされる。」この法則は使徒パウロでも同様です。彼は他の弟子たちより格段、試練と迫害が厳しく多いです。

「私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」(コリント第二11:23−28)

なぜ?理由は救われる以前のひどい迫害生活です。

「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。」(使徒9:1,2)

「私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。」(使徒22:4)

「主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。」(使徒22:19、20)

「すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行きました。」(使徒26:11)

ダビデ王の場合はどうでしょうか?ダビデ王はウリヤの妻バテシェバと姦淫の罪を犯し、策略のもとで夫を殺害した後、彼女を自分の妻としましたが、主は預言者ナタンを遣わして宣告されました。

「主はこう仰せられる。『聞け。わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。あなたの妻たちをあなたの目の前で取り上げ、あなたの友に与えよう。その人は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。』

(第二サムエル12:11)

ダビデ王もまた、行なったとおりに行ない返されるという預言です。しかしその成就を見るまではかなりの年月が流れています。預言一週間後にバテシェバによって産まれた子供は死に、その後ダビデの子アムノンは妹タマルを恋い慕って悲惨な姦淫の罪を犯しました。この事件の二年後、妹が兄からはずかしめを受けたことへの復讐の為、兄弟アブシャロムはアムノンを殺害し、それ以降三年間の逃亡生活に入りました。父ダビデが呪われた姦淫と殺人の罪悪を種蒔いたため、後に子供たちの中で同様の姦淫と殺人の実が結実したのです。その後二年が過ぎるとアブシャロムはイスラエル人の心を盗み始め、さらにそれから四年たつとアブシャロムは事前の計画通り父ダビデに企てた反逆を実行しました。「アブシャロムがヘブロンで王になった!」叫ぶ謀反者たちの前を力なく泣きながら逃げる去るダビデ王。その際、アブシャロムにくみする者がみな、勇気を出すようにダビデの妻たちと寝るようにと助言を受けたアブシャロムはその言葉通りにこれを実行しました。(第二サムエル16:22)こうしてナタンによって語られた預言がこの日、見事に成就したのですが、計算すると預言成就まで最低でも七日(第二サムエル12:18)+その後(13:1)+満二年(13:23)+三年の間(13:38)+二年間(14:28)+その後(15:1)+四年(15:7)=11年以上もかけて成就しています!蒔かれた種の実がなるまで時間がかかるようにある種の預言成就は時間がかかって実現します。それにしても11年前の罪悪に対する呪いを今刈り取る。なんともわりに合わない話です。今では恵みの新約時代のためこのようなサイクルはもっと短時間で終息しますが、原則的には同じ流れがあります。イエス様の御前、誰でも罪を悔い改めたら即座に赦されます。しかし次に、その行なった罪ゆえの報酬が災いという形で現れる場合があります。呪いのきずなを即座に断ち切らないで、放置しておくと、その後、呪いが子孫に爆発的にあふれ流れるケースさえあります。ダビデが奪ったバテシェバから産まれたソロモンがまさにそれです!彼はえらい王様になりました。

「彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」(第一列王記11:3,4)

1000人の女!想像するだけでも恐ろしい生活。まさに父ダビデによって導入された姦淫の霊が直系の子孫ソロモンのなかで悪の大リバイバルです!

「主は、私の義にしたがって、また、御目の前の私のきよさにしたがって私に償いをされた。あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。」(第二サムエル22:25−27)重要なことは現れ出た環境ではなく、心の持ちようです。心がきよく恵み深く正しければ神様も同様に祝福してくださいます。しかし心がいじけて、ひねくれていれば同様の幸とぼしい信者になってしまいます。

これらは霊の世界に立てられた神様の御言葉の法則ゆえ、サタンにも適用されます。サタンは今、人々を盗み、殺し、滅ぼしていますが、後に行なったように行なわれます。

「彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。」(黙示録20:10)

悪魔はギリシャ語でディアボロス(反抗者)「私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者」(黙示録13:10)です。この訴えを無効にする力が徹底的な悔い改めと呪いを断ち切る祈りです。誰でもイエス様の御名で悔い改めたら完全に赦された義人です。悪魔にこれ以上告発されて災いを代々こうむる筋合いはありません。罪ゆえの報酬、災いを刈り取って弱り果てないよう、断固として呪いのきずなを断ち切り、こう宣言しましょう。「私はイエスの血潮で赦された義人です。もう災いも呪いも私とは一切関係ありません。罪を誘い災いをもたらす敵なる悪魔よ!イエスの御名で命じる。出て行け!二度と帰って来るな!」更には家系内に働く「先祖から伝わったむなしい生き方」と呼ばれる不信仰や偶像崇拝など暗黒の呪いのベールとそこに隠れて働く悪魔にこう宣言しましょう。「私の父方、母方の家系に働く呪いのきずなをイエスの御名と血潮で断ち切る!私は父なる神様の家族、天に国籍を持つ祝福された者だ!」

イエス様は今、祝福だけを私たちに与えて下さっています。だから将来のイエス様と天国は祝福の園そのものです。

「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。」

(黙示録19:6) アーメン!

結論は、イエス様の御名で積極的に努力して良い行動を沢山しましょう!必ず良いことがおきます。人を愛して助けましょう!愛されて試練の時にも助けられます。人をはかるように自分にもはかられます。他者をよく思い尊敬し心から祝福を祈りましょう。すばらしい祝福は必ず同様にあなたに返ってきます。