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「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」(ヨハネ14:16)

最初の助け主はイエス・キリストです。イエス様が私たちを助けるために十字架で血を流して死なれ、葬られ、三日目に復活されて、今は父なる神様の右に座されましたが、地上に残された私たちのために、あらゆる面で弱さを助けてくださるもうひとりの助け主を与えられました。そのお方が聖霊様です。聖霊様は2000年前と同じくイエス様の御仕事を継続なさり、世の終わりまで、いつも、私たちとともにいてくださいます。「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力(聖霊様)を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」(ルカ24:49)イエス様の御言葉を信じてマルコの二階部屋で10日間とどまって断食祈祷を捧げた(マタイ9:15)、120人に聖霊様は突然注がれました。その様をルカはこう証言します。「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(使徒2:1-4)今日も断食覚悟で本気で祈ればイエス様を信じた者に同じ聖霊様が与えられます。誰もが聖霊様は絶対受けなければなりません。「イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水(水のパプテスマと御言葉の水の洗い)と御霊(聖霊様)によって生まれなければ、神の国にはいることができません。」(ヨハネ3:5)だからです。聖霊様を受ければ初代教会に起きた環境的変化が私の内なる変化となって同様に現れます。その人は過去の弱さと不信仰が吹き飛ばされ、住み慣れた家のような築き上げられた神様のいない人生観、哲学、自分の固執全体が地震のように根底から揺すぶられ、その後は聖霊様の熱い火がくだり心を燃やします。くすぶる罪悪と情欲、世の悲しみを焼き尽くす聖別の火です。生きることに対する情熱的な熱く明るい心、積極的で肯定的な清い思いを与える聖霊様の火、これがあなたを私を変え、時代を変革します。聖霊様が十字架のイエス様の愛を悟らせ、喜びある信仰生活を与えます。今、聖霊様の火は来ています。受け取る準備はできていますか?聖霊様の火を受ければ誰でも大胆に語れます!新たな人に生まれ変われます!行き詰った絶望の人生が希望あるものに変えられ無から有、闇から光、死から命に移ります!ハレルヤ。そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」(使徒2:38)悔い改めが聖霊様を受ける唯一の道です。悔い改めない頑固な心は恵みを受け損ねます。幼子のように素直になれば、聖なる神の霊は注がれ、罪悔い改めた清い心に聖霊様は神殿として住まわれます。聖霊様を拒み続ける世俗の思いを砕くために、ある人々は厳しい試練を通じて取り扱われ、整えられますが、やはり初めから素直に信じて救われるほうがずっと楽で、万物を失う被害も少なく、幸いです。

私がまだ小学生で小さかった頃、なぜか「日曜日に教会に行こう!」という思いが与えられ、小さなコンパスの足で一人テクテク歩いて一時間弱、ようやく教会に着きました。広い国道に面する好立地にかなり広大な敷地を持つ教会でしたが、門をくぐり、建物に入るとちょうど礼拝が終わり、解散中でした。教会員たちを送り出し、残されたスタッフのような人たちから「僕、本当に一人で来たの?」と大変珍しがられました。そこで案内された教会学校の部屋を見渡すと沢山のおもちゃがあり、黒板には英語を教えた後が書かれていました。私は内心「やった!面白い遊び場を見つけた!」と喜んでいると牧師のような人が来て大変申し訳なさそうに困った顔でこう言いました。「僕、今日は本当によく来てくれたねえ。だけど本当に悪いけれど、この教会は今日で終わりなのだよ。来週からずっと遠くに引っ越してなくなってしまうのだよ。」こうして福音については何も聞かされず、祈りも受けることなく帰されました。しかし、私はその牧師のような人の話を信じないで一週間後の日曜に再び一人テクテク一時間弱、ニコニコしながらちゃんと教会にやって来ました。ところが入り口は閉ざされた門に鎖が無造作に巻かれ、教会堂の扉にも木の板が釘打たれ、完全閉鎖状態で閑散としていました。程なく物件は破壊され福音とは無縁の建造物の数々が更地に建築されていきました。こうして私の信仰暦はたった一週間で終焉し、その後再び16歳で別の教会に行き、19歳で聖霊様のバプテスマを受けるまでずっと堕落していました。日本人の多くがそうであるように私も福音を聞いたことは延べで16年間一度もなく、実質都会の札幌で生まれ育ち異端以外一度も伝道されなかったということです。日本に聖霊様に満ちた愛の伝道者が多く立ち上がりますよう祈ります。

16歳で教会のうわさを伝えてくれたのは妹でした。妹はくるみ割り人形の劇を見るために教会に一度行ったそうですが、興味深かったのは、その教会の宣教師が交通事故で両親をなくした女の子を養子縁組で受け入れ育てているという話でした。「今の時代に、そんな愛深い人がいるのか。」当時すっかり悪事に飽き飽きしていた自分にとってそれは何もかも興味深い新鮮な話でした。そこで日曜にその日本基督教団の教会に一人行き、メッセージを聞きましたが、何も分からないまま集会が終わり、初来者の自己紹介にマイクが渡されました。百数十人が集まっていました。「泉と申します。イエス・キリストのことは何も知りませんが、教えてください。宜しくお願いします。」歓迎の拍手を頂き、着席。しかしその後、ひとつのことだけはっきり分かりました。「教会員たちの目がぴかぴか綺麗だ!」今まで見てきた無数の汚れた目とは異質な清い輝きを持つ彼らの目を見ながら「この人たちは自分にない何かを持っている。その何かを私も持ちたい!」心底そう思いました。もっともすべては聖霊様が私の心を教会へ導き、霊の目を開いてそう悟れるようにしてくださったのです。それから3年間、聖霊様を受けるまでは教会に行ったり、行かなかったり頑固な求道生活が続きましたが、たまに行くと「三位一体とは何か・・・とか、神様は初めに何処にいたのか・・・とか、永遠とは・・・等」聖書中の難解な箇所から特に人間には絶対答えられない隠された奥義ばかり指導者に質問する実質迫害者状態でした。そんなある日、私が神様の存在を痛烈に感じる自爆体験がありました。その頃、一番仲よかった学友がルーテル教会の牧師の息子でした。牧師の息子といっても彼もまた当時の私のように聖霊様を受けていない完全に肉なる人で、私と気が合った理由は派手に悪さをすることでした。あるとき彼の誘いもあって私は400CCのバイクを盗みました。私も無免許でしたが運転の仕方を教えてあげようと彼を後ろに乗せ、郊外に着くと今度は広い直線道路で彼を前に乗せ、私は後ろに。加速の仕方を教えると彼は速やかにギアチェンジを繰り返し一気に時速130キロ!緩やかな右カーブを曲がりきれずにそのまま横転!二人とも吹っ飛ばされ数十メートルは何もない道路を転がりました。ところが事故の瞬間、神様が人体に備えられた神秘的隠された機能のひとつスローモーションに万事が見える機能が二人とも働き、すべてを正確に見極め、迅速対応で体を守ることができました。「手を出して無理に止めないで、このまま転がるままに任せたほうがいい!」そのため大破したバイクと奇跡的に出血だけで助かり、ぼろぼろの身で互いの生存を確認!そのままバイクを捨てて逃げ帰りました。本当に悪いことをしました。しかし、もしあの時、右ではなく左に転んでいたなら!二人は無条件にまっすぐ地獄に堕ちたでしょう。神様も何かを恐れることも全く知らなかった私でも、この日ばかりは厳粛な恐れが生じ、裁きをなさる正義の神様が地上にいるという思いを否定できませんでした・・・。今では、私も新生し私の怖いものランキングが三つあります。第一位が神様で、第二位が断食で、第三位は怒った妻です。「アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。」(使徒19:1,2)あなたも信じたとき、聖霊様を受けましたか?では、あなたのお子様はどうですか?もしその確信が乏しければ、すぐに御教会の牧師先生にお話ししてお祈りと導きを受けてください。これは永遠に関わる大切な事柄ですから。そして自分の教会の牧師先生こそ最高の先生だと敬ってとりなし祈りを捧げ、従ってください。当時の私たちは教会に出入りしていても聖霊様を持たない肉なる人、滅び行く捕われの霊だったのです。しかし自分たちではそのことが分からず、むしろ不熱心程度の面白クリスチャンだと思っていたのです。御救いは単に教会に通っているという事実ではなく、悔い改めて聖霊様による生まれ変わり体験を持つことです。善き父なる神様は求め続ける者に聖霊様を無限に与えてくださいます!!