― 仲間 ― 


                

                七つの違法の民を追い出せ

 「あなたが、はいって行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主が、あなたを導き入れられるとき、主は、多くの異邦の民、すなわちヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人の、これらあなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民を、あなたの前から追い払われる。あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らを聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。」(申命記七章一〜二節)。

 これは主からモーセを通じてイスラエル人に与えられた歴史的課題、七つの異邦人、聖絶命令です。そこでヨシュアの時代、イスラエル人は主の聖絶命令に従って勇敢に戦い抜き、約束の相続地ヨルダン西岸を征服し、戦争はいったんやみました。しかし、ヨシュア記十一章二十二節では詳細に戦況報告します。

「それでイスラエル人の地には、アナク人がいなくなった。ただガザ、ガテ、アシュドデにわずかの者が残っていた。」

この時、勝利に酔いしれるイスラエル人にとってこれら「わずかに残された者」が、後に大きな問題を招くことになるとは当時、誰もが想像さえしませんでした。しかしその後の歴史はまさに主が事前に警告されていた通りです。

「もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、わき腹のいばらとなり、彼らはあなたがたの住むその土地であなたがたを悩ますようになる。」(民数記三十三章五十五節)。

聖絶から逃れたわずかな者が住む第一の地方ガザ地域。ここは使徒の働き八章二十六節によると主の使いが伝道者であるピリポ執事に向かって

「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。(このガザは今、荒れ果てている。)」と宣教命令を与えられた地です。それはガザに残されたわずかな者たちがやがて増え広がり、何千年も経過した後の時代にこの地域を不信仰で満たし、荒廃させてしまったからです。

わずかな者が残された第二の地方ガテ地域。ガテからはやがて3メートル35センチもある巨人の代表戦士ゴリアテが立ち上がり、イスラエル人の代表戦士とひとつ国の命運を賭けた戦いをしようと呼びかけ、朝に夕に四十日間イスラエルの陣営を悩ませました。

第三の地方アシュドデ地域。ここでは後にダゴンの偶像の宮が造られ、イスラエルから重要な契約の箱が奪われて後、ここアシュドデにある偶像ダゴンのかたわらに安置されてしまいました。そのため主の聖なるみ怒りに触れたアシュドデの全住民は非常な大恐慌と死に直面する腫物に打たれました。このように本来追放すべき異邦の七部族に妥協してすべてを聖絶しなかったイスラエル人にとってそのわずかに残された者が、後の時代に彼らの「目のとげ、わき腹のいばら、悩みの種」となってしまったのです。ここに教訓があります。今日の聖絶とは私たちの相続地なる乳と蜜の流れ出る祝福の基、心の中という地域から違法の七つの悪霊どもをすべて一匹残らず追い出すことを教えています。心のうちにわずかに残された悪霊を持っていてはいけません。私たちは主イエス・キリストを信じた時から聖霊様が心のうちに入って来られ死んでいた霊魂が生き返ります。心の王座に新しい王、聖霊様が住まわれます。そのためローマ軍の千人隊長や百人隊長が砕かれて取り除かれた時のように古い隊長悪魔は縛られて追放されます。しかし、隊長が除かれて組織の統制力を失なった配下所属の雑兵のような悪霊どもの軍隊は、私たちが礼拝を繰り返すうちに継続して追放されますが、時にある領域で徹底した悔い改めがなされていないため、わずかに古い悪霊が心の中で依然、壊されていない要塞をとりでに取り残されているケースがあります。心の中の要塞とは憎しみや悔い改めていない罪です。ここをとりでとして悪霊は住みつき内側から仲間を再び住まわせようと引きつけるのです。徹底した罪の告白によって全ての領域でこの古い要塞を破壊しなければなりません。

 

私は昔一つの夢を見ました。夢の中で教会の聖徒たちがなぜか城壁ある建物の屋上にふとんをひいて眠っていました。そのうち下の方から敵軍の数々の矢が屋上めがけて放たれて奇襲攻撃にあいました。一部の目覚めた聖徒たちはこれに対して自分の寝ていたふとんを盾にして応戦し防御しましたが、私もその目覚めた群れと一緒にふとんを盾に応戦しながら、ふとんでは到底勝ち目が無いと思いつつ目覚めました。私たちはイエス様を信じた時から皆、命が与えられています。でも、生きていても眠っていたならば何の戦力も現わさないため眠れる信仰から目覚めて信仰の大盾をとる必要があります。

イザヤ五十一章十七節には

「さめよ。さめよ。立ち上がれ。エルサレム。」

とありますが、霊の戦いは目覚めて堅い信仰の大盾をもって応戦すれば必ず勝つことができる戦いです。その使命が与えられたのがクリスチャンです。私たちの戦う戦場は心の中です。箴言四章二十三節には

「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」

とあり、箴言十六章三十二節には

「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」

ともあります。こころを見張ることが霊の戦いです。私たちは皆、霊の戦争をしているということを忘れてはなりません。私たちの戦いは主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。この戦いは私たちが認めても認めなくても参戦しても参戦しなくても現実に朝も夜も絶えず霊的な世界で起きている現実の戦争です。この戦争の最終的な大勝利は天国に入る私たちクリスチャンのものと既に決定していますが、いまだ戦闘が残っているのです。天国というのはただ黙って立ったままエスカレーター式の王道で入る所ではありません。

黙示録三章二十一節では

「勝利を得る者を、わたし(イエス)とともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。」

とあり、ルカ十三章二四節では

「努力して狭い門からはいりなさい。」

とあり、マタイ十一章十二節では

「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」

とあります。私たちは必ず天国に帰還しますが、戦争と同じくぼろぼろになって負傷しながらようやく帰還する兵士もいれば、英雄となって捕虜を大勢解放して戦利品を携えながら帰還する兵士もいるように霊の戦いにおいても努力次第で天国の栄光が大きく違うのです。救いは誰でもイエス様を信じるだけで無条件に与えられますが、その後の成長と祝福を受けることにおいては信仰で激しく攻める努力が必要です。貪欲と真理に対する熱意とは別のことです。貪欲とは本来自分の受けるべき領分を飛び越えてすべてをむさぼりながら剥ぎ取る罪ですが、熱心に祝福を祈り求める努力は真理に対する熱意であって称賛すべき愛の行ないであり、決して貪欲ではありません。今までの教会史ではこの点において少し弱さがありましたが、最近は違ってきています。祈りと断食で努力して求め、武装して熱く霊の戦闘をしなければ何もないという真理の知識が広く浸透してきています。人々は悩み苦しみ病んでいます。不信仰と偶像宗教と不正がいたる所にはびこっています。大群衆が次々と地獄に叫びながら落ち込んでいます。この現実を踏まえた上で渇きなく熱い祈りの必要性を感じなければ問題です。熱い情熱をもって祈り求め、涙と断食をもって主を呼び求める戦いの時は今なのです。私たちは熱心に祝福を祈り求めて心を不法占拠しようとする違法の悪霊どもを全て追放しましょう。

 

では、今日私たちが聖絶すべき七つの違法の悪霊とは具体的にどのようなものでしょうか。代表的に見られがちな七つをあげます。聖書ではマグダラのマリヤという女はイエス様から七つの悪霊を追放していただいたとありますが、それはどんな状態だったでしょうか。想像すると女の性質は多重人格者のようで、ある時は恐れの霊に捕われて暗い家の中に連日引きこもり、またある時は偽りの霊に動かされて世間をまどわすうそいっぱいのペテン師になり、またある時は姦淫の霊に満ちて夜の町に立つ売春婦。またある時は盗みの霊に満ちて市場の泥棒になり、またある時は病の霊につかれて病院の中。またある時は寒い道端の占い師に転職。またある時は貧困の霊につかれて破産してホームレスのこじきに変身等など大変忙しい毎日だったことがうかがえますが、いずれも悪霊の実はみじめで腐った生活です。救い主イエス様はこのようにみじめなマグダラのマリヤという女性の中から七つの悪霊すべてをみごとに一匹残らず追放されました。ハレルヤ。

 

ある信頼できるクリスチャンのご主人さんから直接聞きましたが、当時まだ不信者だった奥さんを通じて体験した霊的体験の証しをします。奥さんが悪霊につかれて暴れたそうです。その悪霊は長年奥さんの中に住んでいましたが、結局すべて追い出され、今は奥さんも救われた立派なクリスチャンになりましたが、悪霊が追放されるまでの期間はご主人さんは奥さんの解放を祈り続け、イエス様の御名で命じて追放していました。その時、奥さんの中から男のような声でこのように悪霊が答えてしゃべったそうです。

「おまえは神様がどんな方か知っているか?この際だからすべてぶちまけて話すけど・・・神様は光と愛をミックスした方だ。おれたちが追い出されたら、他のすでに入っている悪霊たちがたくさんいるからどこでもすぐに入れないので大変だ。入るにもいつでもできるのではない。きっかけがないとだめだ。以前は天国で賛美していた。ものすごい美しい光の国だった。しかしリーダーが堕落して追放されたから、自分たちが知らないうちに一緒に地上へ落とされた。もう一度あの美しいところへ本当は戻りたい。しかし、出来ない。おれたちはやがて負けることに決まっている。リーダーにしかられるから言えないけど本当はあそこにもう一度帰りたい。あんなすばらしいところへ行けるお前たちクリスチャンがうらやましい。・・・追い出される!ルシファー!祈ってくれ!・・・」

その後、奥さんの中に住んでいた悪霊は地獄のよみにおけるリーダー・ルシファーのとりなしがあったのか悪霊現象が一時的に強くなり、怪力でもっとあばれ、その後、追放されたそうです。イスラエルの民がカナンの相続地で異邦人七部族を追放した後、始めて乳と蜜の流れる豊かな祝福を全面謳歌できたように私たち神様のイスラエルなるクリスチャンも心のカナン地域から祝福の流れをふさいでいる異邦で違法な七つの悪霊をすべて追放しましょう。

 

イエス様は四十日間の断食祈祷の後、御霊の剣である聖書のことばと信仰の大盾で悪魔の誘惑に完全勝利されました。同様に私たちも攻撃を受けたとき聖書の御言葉を用いて宣言すると勝利できます。悪い思いが心を攻める時、「聖書に・・・こう書いてある!」とイエス様に戦い方を真似て宣言することが重要です。イエス様と同じように戦えば最短で罪悪の根源、悪魔とその誘惑に打ち勝てます。

では私たちが今日、積極的に追放すべき違法の七つの天敵とは・・・

 

第一に、憎しみです。憎い心はすでに悪の領域に所属しています。全てをご存知の神様にゆだねて赦しましょう。憎しみが心を違法占拠しようとする時、心が支配されないようすぐに天敵の前で以下の御言葉を用いて大胆にこう宣言してください。

「だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」と書いてある!(ヤコブ一章十九〜二十節)

あるいは続けてこうも宣言しましょう。

「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」と書いてある!(エペソ四章二十六〜二十七節)

それでもだめなら、これも宣言しましょう。

「兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。」と書いてある!」(ヨハネ第一 三章十五節)

 

第二に、世の罪悪への誘惑です。イエス様が十字架で血潮を流してすでに解決されました。私は赦された義人です。誘惑されて自制心を失う時、その乱れた思いに対してこう宣言してください。

「御霊の実は、自制です。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」と書いてある!(ガラテヤ五章二十二〜二十三節)

金銭への誘惑が来る時、こう宣言してください。

「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。」と書いてある!

(テモテ第一 六章九〜十節)

貪欲で自己中心的なけちになる時、こう宣言してください。

「人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。」と書いてある!

(テモテ第一 六章十八節)

不品行と姦淫の思いが来る時、

「寝床を汚してはいけません。神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれる。」と書いてある!

(ヘブル十三章四節)

 

第三に、追放すべき違法の天敵とは、偶像を慕う心です。神様以上に愛する者はすべて危険です。貪欲と偶像を警戒して真の生ける主なる神様だけを礼拝しましょう。

「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。」と書いてある!(ヨハネ第一五章二十一節)

世に対する世俗の思いが来る時、

「世を愛することは神に敵することである」と書いてある!(ヤコブ四章四節)

「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。」と書いてある!(ヨハネ第一 二章十五節)

過度の物質所有欲が貪欲になる時、

「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」と書いてある!

(ヘブル十三章五節)

 

第四に、恐怖心。恐れには刑罰が伴います。心の恐れが消え去り、勇気と愛が満ちるまで宣言しましょう。にわかな恐れが来る時、

「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」と書いてある!

(ヨハネ第一 四章十八節)

心がかき乱される時、

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」と書いてある!

(ヨハネ十四章一節)

「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」と書いてある!(テモテ第二 一章七節)

災いへの恐れが来る時、

「正しい者は何の災害にも会わない。」と書いてある!(箴言十二章十一節)

悪魔への恐れが来る時、

「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。」と書いてある!

(ローマ十六章二十節)

 

第五に、劣等感。他人と比較する必要はありません。人の外面も性格も指紋も声紋もみんな違うようにあなたには、あなたにしかできない、あなたならではの神様のよきご計画が必ず用意されています。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」と書いてある!(エレミヤ二十九章十一節)

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。」と書いてある!

(コリント第一 十三章四節)

「それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」と書いてある!

(ヨハネ二十一章二十二節)

 

第六に、否定的な心。イエス様はあなたのために十字架で命を捨てました。それほどまで、あなたは神様にとって高価で尊い存在です。否定的で排他的な敗北意識、非生産的な暗い思いを捨てて、肯定的な御言葉を宣言しましょう。

「私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。」と書いてある!

(詩篇二十三編六節)

「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。」と書いてある!

(コリント第二 十三章八節)

「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」と書いてある!

(ピリピ四章十三節)

 

第七に、怠慢・怠惰の心。多くの人が現状に甘んじて、尊い救いや時間、学び、成長の機会を逃しています。イエス様の十字架の愛は一生懸命です。とても熱心です。忙しく枕する所もなく、早朝から夕、深夜さえ徹夜までされながらイエス様は多忙を極めて献身されました。イエス様を栄光の模範として、万軍の主の熱心で努力して天国の勝利を勝ち取りましょう!

「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。」と書いてある!(ローマ十二章十一節)

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」と書いてある!(マタイ六章三十三節)

「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。」と書いてある!

(マタイ二十六章四十一節)

神様はあなたのくちびるに大きな力を与えました。あなたが信仰で御言葉を語るとき、それは御霊の剣であり、誰にも妨げられない天国の力をこの世に発揮します。